アイルランド紛争を題材にしたフィクションの想像力
――『The Serpent’s Tail』、『Of Wee Sweetie Mice and Men』、『Empire State』をめぐって


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(初出:「SWITCH」1997年9月号、若干の加筆)

 アイルランド紛争については、<アイルランド紛争の歴史と現在に向けられた4つの視点>でノンフィクションや小説を取り上げたことがあるが、その後ネットで北アイルランドに暮らす若者と知り合い、メールのやりとりをするようになった。ちなみに彼は、北アイルランドのなかでは多数派で優位に立つプロテスタントである。

 今回取り上げる本はこのメールのやりとりがきっかけになっている。先述したテキストで紹介した作家のことを書いたら、若者は、マーティン・ディロンとコリン・ベイトマンの本は読んでいて、その後に作品が出ているのを教えてくれたのだ。

 ディロンは、北アイルランドの紛争やテロに関する第一人者といわれるジャーナリストだが、この『The Serpent’s Tail』では初めて小説に挑戦している。その中身は、紛争を裏の裏まで知り尽くしている著者ならではという物語になっている。

 時代は70年代前半、特に74年から75年にかけての時期が中心になる。この時代背景については少し説明を加えておいたほうがいいだろう。70年代前半は、69年に優位に立つプロテスタントと公民権を求めるカトリックの対立から起こった暴動に続く緊張と混乱の時代である。

 IRAは平和的解決か武力闘争かをめぐって分裂し、北アイルランドでは武力闘争を主張する暫定派が多数を占める。一方そんな武力闘争に圧力をかけるため、テロの容疑者を裁判にかけることなく無期限に拘禁できる予防拘禁制度が適用される。それも逆効果になると、今度はイギリス政府が直接統治に乗りだすなど、北アイルランドは大きく揺れていた。

 そんな状況のなか、この小説では、イギリス特殊部隊の少佐ティム・ジョンストンと英国諜報部の有能な諜報員リチャード・ミルナーが、地元のアルスター警察当局にも気取られないように、IRAを罠にはめるためのある計画を実行に移していく。彼らが目をつけたのは、カトリックの地域に暮らし、仕事にあぶれているふたりの若者マイクル・マクドネルとスティーヴン・カークパトリックだった。ふたりは、金欲しさに地元の公安警察に雇われIRAの情報収集を手伝っていたのだが、それがきっかけで目をつけられてしまう。

 ミルナーとジョンストンは、事情もわからずに秘密の作戦本部に連れてこられたふたりに、多額の報酬とアメリカでの生活を約束し、若者たちは言われるままに、射撃などの訓練を始める。ふたりのうち繊細で気の弱いスティーヴンは不安にとらわれていく。しかも彼は、そこにイギリスとの連合を支持するロイヤリストの殺し屋ばかりかIRA暫定派の人間が出入りしていることを知ってしまう。

 ある日彼らは、ベルファストの町外れで拉致され、目隠しをされて拷問される。マイクルは沈黙を守るがスティーヴンは口を割ってしまう。ところが、目隠しがとられると目の前にいたのは、ミルナーとジョンストンだった。若者たちには彼らが何を企んでいるのか見当もつかないが、間もなくふたりは公安の警官殺しの容疑で刑務所に放り込まれる。面会に現われたミルナーは、助かりたければ刑務所内の暫定派グループの棟に行けとだけ指示する。

 
《データ》
“The Serpent’s Tail” by Martin Dillon●
(Fourth Estate, 1995)
“Of Wee Sweetie Mice and Men”
by Colin Bateman●
(Harper Collins, 1996)
“Empire State” by Colin Bateman●
(Harper Collins, 1997)
 
 
 

 刑務所内には、暫定派の組織があり、そのリーダー、ブレンダンは、暫定派IRAの頂点に立つ人物でそこから外部の同士たちに指示を送っていた。彼は、イギリス政府が紛争をプロテスタントとカトリックの宗教戦争に仕立てようとしていることに警戒感を強め、あくまでイギリスとの戦いであるという認識を徹底しようとしていた。そんな組織に踏み込んだふたりは、当然のことながら厳しい尋問を受け、スティーヴンは知っていることを喋りだす。

 もうおわかりかもしれないが、実はこれはすべてミルナーが、尋問に対するマイクルとスティーヴンの反応の違いから生まれる信憑性まで周到に計算した罠で、ブレンダンはこの情報に惑わされ、IRAのなかに混乱が広がっていくことになる。スティーヴンは自分が何をしているかもわからないままに、致命的ともいえる混乱の渦を巻き起こす。これは、“汚れた戦争”を象徴するような生々しい物語といっていいだろう。

 一方ベイトマンは、前に紹介した二作目の『Cycle of Violence』からもわかるように、紛争の暴力の世界を徹底的なブラック・ユーモアで描き人気の作家である。ところが、ここで取り上げる三作目と今年出た最新作では、物語の主要な舞台がアメリカに変わり、しかもそれぞれの内容が印象的なコントラストを作っている。

 三作目の『Of Wee Sweetie Mice and Men』では、一作目『Divorcing Jack』(邦題『ジャックと離婚』)の主人公だったダン・スターキーが再登場する。だから、ダン・スターキー・シリーズの第二弾ということにもなる。この主人公は、妻との関係がいつもごたごたしていて、すぐ酒に救いを求める飲んだくれで、プロテスタント系の新聞にコラムを書いている記者だ。物語はそんな彼のもとに本の執筆の仕事が舞い込むところから始まる。

 アイルランド人のヘビー級ボクサー、ボビー・マクマスターが、聖パトリックの祭日にニューヨークでマイク・タイソンとタイトルマッチを行うことになり、ボビーに同行して、すべての出来事を本にまとめてほしいというのだ。ボビーは大したボクサーではなかったが、本来の対戦相手が事故を起こし、三位から五位までのボクサーは試合をこなしたばかりで対戦が難しく、欲得ずくのプロモーターが、聖パトリックの祭日に最も相応しい対戦相手としてボビーを持ち上げて決定したのだ。

 そこで一行はアメリカに向かうが、最初の記者会見から次々とトラブルが巻き起こる。とんでもない質疑応答の果てに誤解を招き、ムスリムの黒人活動家グループから人種差別主義者とみなされ、命を奪うという脅迫状が送り付けられる。それから間もなく、ボビーの妻メアリが誘拐されてしまう。

 ところが、ボビーを取り巻くスターキーと仲間たちは、証拠があるわけでもないのに、このグループのメンバーに指をちょん切るような拷問を加え、彼らの本拠地に乗り込んで、仮にメアリが捕らえられていたとしても死んでしまうと思えるような無茶な銃撃戦を繰り広げ、逃走に使った車に火を放って、これぞベルファスト流とうそぶいている。

 結局、彼女を誘拐したのはIRAの停戦合意を快く思わない元IRAメンバーの仕業であることがわかる。ボビーは試合前の会見で、イギリスを批判しナショナリズムを鼓舞する発言をした上、タイソンに勝たなければならなくなる。この小説では、対立の緊張がアメリカに飛び火し、アイルランドの紛争がが再燃するのを何としても阻止するためにアメリカに暴力の嵐が吹き荒れることになる。

 これに対して最新作の『Empire State』では、暴力から逃れるためにアメリカにやってきたネイサン・ジョーンズが主人公になる。彼は16歳のときにペンキ屋でバイトしていて悪夢を体験した。現場の作業を終えて先輩たちと戻る途中、彼らを乗せたヴァンの前に偽の警官たちが立ちはだかった。彼らは、警告を無視して駐留している軍関係の施設の塗装をしたことを理由に、ネイサンを除いて全員を射殺した。彼は16歳ということで見逃されることになったのだ。

 以来彼は、誰とも口をきくこともなく世界を転々とし、中国で出会ったリサとアメリカにやって来た。ふたりはニューヨークで同棲を始め、ネイサンはひょんなことからエンパイア・ステートビルの警備員の仕事にありつくが、アイルランド人ならではの短気な性格が災いし、彼女に逃げられてしまう。しかも、そんな彼をエンパイア・ステートビルが途方もないトラブルに巻き込んでいく。

 この有名なビルにアメリカ大統領がやってくることになり、それとともにネイサンの知らないところで陰謀が進行していたのだ。南部の極右団体に属す過激派ジョージ・バーリーは、大統領を暗殺するために黒人のジャーナリストに変装してビルに潜入した。大統領訪問のしばらく前に、権力を誇示するためにこのビルを買収したコンピュータ産業のカリスマ、マイクル・テイトは、大統領に自分の力を思い知らせようとしている。

 ところが、大統領訪問を心待ちにしていた最古参の警備員がひどい仕打ちを受けたことが引き金になってネイサンの短気が爆発し、彼は、シークレット・サービスの銃を奪って大統領を人質に事務室に立てこもってしまう。成り行きで運命をともにすることになったのは、顔の不自然さがマイケル・ジャクソンを連想させる黒人ジャーナリストだった。そして、犯人がアイルランド人の警備員だと判明すると様々な波紋が広がる。暴力から逃れたはずの主人公がその真っ只中に身をおくことになってしまうのだ。

 フィクションの想像力によって、マーティン・ディロンは紛争の裏側に迫り、コリン・ベイトマンはアメリカも大胆に巻き込んでいく。その対照的な方向性とスタイルに、それぞれの作家の個性がよく表れている。


(upload:2013/01/24)
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