刑務所内には、暫定派の組織があり、そのリーダー、ブレンダンは、暫定派IRAの頂点に立つ人物でそこから外部の同士たちに指示を送っていた。彼は、イギリス政府が紛争をプロテスタントとカトリックの宗教戦争に仕立てようとしていることに警戒感を強め、あくまでイギリスとの戦いであるという認識を徹底しようとしていた。そんな組織に踏み込んだふたりは、当然のことながら厳しい尋問を受け、スティーヴンは知っていることを喋りだす。
もうおわかりかもしれないが、実はこれはすべてミルナーが、尋問に対するマイクルとスティーヴンの反応の違いから生まれる信憑性まで周到に計算した罠で、ブレンダンはこの情報に惑わされ、IRAのなかに混乱が広がっていくことになる。スティーヴンは自分が何をしているかもわからないままに、致命的ともいえる混乱の渦を巻き起こす。これは、“汚れた戦争”を象徴するような生々しい物語といっていいだろう。
一方ベイトマンは、前に紹介した二作目の『Cycle of Violence』からもわかるように、紛争の暴力の世界を徹底的なブラック・ユーモアで描き人気の作家である。ところが、ここで取り上げる三作目と今年出た最新作では、物語の主要な舞台がアメリカに変わり、しかもそれぞれの内容が印象的なコントラストを作っている。
三作目の『Of Wee Sweetie Mice and Men』では、一作目『Divorcing Jack』(邦題『ジャックと離婚』)の主人公だったダン・スターキーが再登場する。だから、ダン・スターキー・シリーズの第二弾ということにもなる。この主人公は、妻との関係がいつもごたごたしていて、すぐ酒に救いを求める飲んだくれで、プロテスタント系の新聞にコラムを書いている記者だ。物語はそんな彼のもとに本の執筆の仕事が舞い込むところから始まる。
アイルランド人のヘビー級ボクサー、ボビー・マクマスターが、聖パトリックの祭日にニューヨークでマイク・タイソンとタイトルマッチを行うことになり、ボビーに同行して、すべての出来事を本にまとめてほしいというのだ。ボビーは大したボクサーではなかったが、本来の対戦相手が事故を起こし、三位から五位までのボクサーは試合をこなしたばかりで対戦が難しく、欲得ずくのプロモーターが、聖パトリックの祭日に最も相応しい対戦相手としてボビーを持ち上げて決定したのだ。
そこで一行はアメリカに向かうが、最初の記者会見から次々とトラブルが巻き起こる。とんでもない質疑応答の果てに誤解を招き、ムスリムの黒人活動家グループから人種差別主義者とみなされ、命を奪うという脅迫状が送り付けられる。それから間もなく、ボビーの妻メアリが誘拐されてしまう。
ところが、ボビーを取り巻くスターキーと仲間たちは、証拠があるわけでもないのに、このグループのメンバーに指をちょん切るような拷問を加え、彼らの本拠地に乗り込んで、仮にメアリが捕らえられていたとしても死んでしまうと思えるような無茶な銃撃戦を繰り広げ、逃走に使った車に火を放って、これぞベルファスト流とうそぶいている。
結局、彼女を誘拐したのはIRAの停戦合意を快く思わない元IRAメンバーの仕業であることがわかる。ボビーは試合前の会見で、イギリスを批判しナショナリズムを鼓舞する発言をした上、タイソンに勝たなければならなくなる。この小説では、対立の緊張がアメリカに飛び火し、アイルランドの紛争がが再燃するのを何としても阻止するためにアメリカに暴力の嵐が吹き荒れることになる。
これに対して最新作の『Empire State』では、暴力から逃れるためにアメリカにやってきたネイサン・ジョーンズが主人公になる。彼は16歳のときにペンキ屋でバイトしていて悪夢を体験した。現場の作業を終えて先輩たちと戻る途中、彼らを乗せたヴァンの前に偽の警官たちが立ちはだかった。彼らは、警告を無視して駐留している軍関係の施設の塗装をしたことを理由に、ネイサンを除いて全員を射殺した。彼は16歳ということで見逃されることになったのだ。
以来彼は、誰とも口をきくこともなく世界を転々とし、中国で出会ったリサとアメリカにやって来た。ふたりはニューヨークで同棲を始め、ネイサンはひょんなことからエンパイア・ステートビルの警備員の仕事にありつくが、アイルランド人ならではの短気な性格が災いし、彼女に逃げられてしまう。しかも、そんな彼をエンパイア・ステートビルが途方もないトラブルに巻き込んでいく。
この有名なビルにアメリカ大統領がやってくることになり、それとともにネイサンの知らないところで陰謀が進行していたのだ。南部の極右団体に属す過激派ジョージ・バーリーは、大統領を暗殺するために黒人のジャーナリストに変装してビルに潜入した。大統領訪問のしばらく前に、権力を誇示するためにこのビルを買収したコンピュータ産業のカリスマ、マイクル・テイトは、大統領に自分の力を思い知らせようとしている。
ところが、大統領訪問を心待ちにしていた最古参の警備員がひどい仕打ちを受けたことが引き金になってネイサンの短気が爆発し、彼は、シークレット・サービスの銃を奪って大統領を人質に事務室に立てこもってしまう。成り行きで運命をともにすることになったのは、顔の不自然さがマイケル・ジャクソンを連想させる黒人ジャーナリストだった。そして、犯人がアイルランド人の警備員だと判明すると様々な波紋が広がる。暴力から逃れたはずの主人公がその真っ只中に身をおくことになってしまうのだ。
フィクションの想像力によって、マーティン・ディロンは紛争の裏側に迫り、コリン・ベイトマンはアメリカも大胆に巻き込んでいく。その対照的な方向性とスタイルに、それぞれの作家の個性がよく表れている。 |