95年度のサンダンス映画祭で最優秀作品賞に輝いた『マクマレン兄弟』は、27歳のエドワード・バーンズの監督デビュー作であり、現代のアメリカに生きるアイルランド系の3人兄弟の絆や恋愛をめぐるそれぞれの人生のターニング・ポイントを、深い洞察に裏打ちされたユーモアで描き出した愛すべき作品だ。
この映画が放つ瑞々しさは、スタイルは違うが、どこかハル・ハートリーの初期作品を連想させるものがある。ロング・アイランドの不毛なサバービアで育ったハートリーは、そんな自分の足元を独自の視点で見つめることから出発し、魅力的な映像世界を切り拓いたが、バーンズのデビュー作にもそれに通ずる意思が強く感じられる。
ロング・アイランドのアイルランド系カトリックの家庭で育ったバーンズは、この作品に自己の個人的な世界を投影している。自分が育った町と家で撮影することによって、アメリカの中流の生活とアイルランド系の感情が交差する最も身近な場所から普遍的なテーマを引き出しているのだ。
映画は3人兄弟の父親の葬儀というプロローグで幕を開け、その5年後、別々に暮らしていた兄弟が、それぞれの些細なトラブルからロング・アイランドにある長男の家でしばらく共同生活を送るはめになる。そんな導入部からすでにバーンズの巧みな話術が際立っている。
プロローグで未亡人となった母親は、これまでずっと辛抱してきたが、実はアイルランドに彼女のことを35年間も待ちつづけている男がいるという爆弾発言をし、“同じ過ちを繰り返すな”という忠告を残してそそくさと故郷に帰ってしまう。ここではそれ以上の説明はないが、共同生活が始まり、兄弟それぞれのキャラクターが見えてくると、ニンマリさせられるはずだ。
妻帯者で、地元高校のクラブのコーチをしている長男は、家事を得意とする愛妻家。映画の脚本家を目指す次男は、愛を信じないドライな若者。大学在学中の三男は、厳格なカトリック信者で、婚前交渉すら真剣に悩む堅物。そんなキャラクターには、どうしようもない男だったらしい父親に対する反動から、彼らがそれぞれの価値観を培ってきたことが暗示されている。
バーンズは、これまでお互いの価値観について語り合ったこともないようなこの3人を、恋愛をめぐって複雑に絡ませることによって混乱を招き寄せ、のっぴきならない状況へと追い込んでいく。突き詰めれば、彼らはそれぞれに、形骸化しつつある自分の価値観にすがりつくか、目の前にいる女性=現実と向き合うかの二者択一を迫られることになる。
しかも彼らの混乱は、もっと広い視野に立った風刺にもなっている。サバービアの罠に落ち、不倫に救いを求めた長男は、バスルームのなかで信心深い三男にその罪の重さを真剣に尋ねる。その三男は、妊娠した彼女が勝手に中絶を決意したことを知り、地獄に落ちる恐怖に苛まれる。彼らの滑稽さは、ある意味では、現実から遊離し形骸化した宗教に対する風刺になっている。
これに対して、思いもよらず恋に落ちてしまった次男は、ハリウッドにシナリオが売れ、名声と愛の岐路に立たされる。その次男の役を監督のバーンズ自身が、そして恋人の役を彼の本当の恋人が演じていると書けば、この映画に対する興味がさらに増すことだろう(ちなみにバーンズ本人は、ハリウッドで映画を撮る気がまったくないということだ)。 |