台湾出身の監督アン・リーは、『ウエディング・バンケット』と『恋人たちの食卓』の成功によって、次回作では、ジェーン・オースティンの原作、エマ・トンプソン、ヒュー・グラント主演の『いつか晴れた日に』でメジャーへの進出を果たすことになった。『推手』は、そんなアン・リーの記念すべきデビュー作だ。
ちなみに筆者は、アン・リーの作品のなかでは、2作目の『ウエディング・バンケット』はあまり好きではない。人物やストーリーなど実によくできた楽しめる作品だとは思うが、脚本の段階で映画の世界がすでに完成されてしまい、撮影の現場が、青写真を映像に置き換えるだけの作業になってしまっているように思えるからだ。
その点、アメリカから台湾に戻って撮った3作目の『恋人たちの食卓』は、登場人物に深く踏み込んでいて、見応えのある作品になっていた。この映画に登場する父親は、一流ホテルの元シェフで、男手ひとつで3人の娘たちを育てている。彼の支えは、娘たちを別にすれば中国料理であり、彼は大陸の伝統を突き詰めていくことでアイデンティティを維持している。
そんな爛熟を究める彼の料理は、ホテルの厨房であれば揺るぎないものではあるが、急激な民主化が進行する新時代を生きる娘たちとの晩餐の席では、国民党の立場と同様の“裸の王様”になってしまっている。この映画は、そんな父親が、密かに芽生えた恋愛感情を通して、料理をまったくの初歩から見直すことによって新たな自己を発見していくまでを描く物語になっている。
今回公開されるデビュー作『推手』では、そんなアン・リーの感性のルーツを見ることができる。映画の舞台はニューヨークの郊外住宅地で、中国系のアレックスと白人の妻マーサ、6才の子供の3人家族の家庭に、北京で太極拳を教えていたアレックスの父親が引っ越してくるところから物語が始まる。
それは、親子の情を大切にするひとり息子が望んだことではあったが、作家の卵である妻マーサと父親は、まったく言葉も通じないし、食事もばらばらで、次第に彼らは衝突を繰り返していくことになる。
そんな設定は、どちらかといえば『ウエディング・バンケット』に近いが、アン・リーは、この映画のなかで、父親のアイデンティティを巧みに掘り下げていく。
映画の題名になっている“推手”とは、太極拳の簡単な組手練習で、自分を無にして相手の動きを読み、それに自在に対応することを目的としている。つまり、この父親は、言葉や(『恋人たちの食卓』のような)食事とは違うもので、他者と対話する術を心得ているのだが、ナーバスになっているマーサが、触れ合いを完全に拒絶しているために、その力を発揮することができない。
しかも、この父親の言葉によく耳を傾けてみると、状況がいっそう深刻なものに思えてくる。この朱老人は、文化大革命の混乱のなかで幼い息子を守るのが精一杯で妻を失い、そこからアイデンティティの問題が浮かび上がってくる。彼の父親は、かつて政府で立派な地位つき、一方、息子はやがてアメリカに渡り、コンピュータを習得して就職し、新たなアイデンティティを獲得した。 |