コリン・ベイトマンというアイルランド出身の面白い作家がいる。彼は深刻なアイルランド紛争からブラック・ユーモアに満ちた痛快な物語を紡ぎだす。彼の小説の登場人物たちはいつも、とんでもないトラブルに巻き込まれるか、あるいは、気づかぬうちに他人をトラブルに巻き込んでいく。
たとえば、長編2作目となる『Cycle of Violence』の物語は、カトリックとプロテスタントのパブが一軒ずつあり、住人が飲んではお互いを罵りあっている田舎町を舞台に展開する。地元の新聞記者が蒸発してしまい、記者である主人公が助っ人としてベルファストからやって来る。
彼は、奇妙な成り行きで蒸発した記者の恋人と恋に落ち、彼女の心の傷になっている過去の事件のことを調べだす。それは紛争とは何の関係もない事件だったが、彼の調査が知らないうちに紛争の歯車を動かし、秘密を抱えた紛争の当事者たちが次々と悲惨な死を遂げていく。
4作目の『Empire State』では、紛争の暴力から逃れるためにアメリカに渡り、エンパイア・ステートビルの警備員になった主人公が、アイルランド人ならではの短気な性格が災いし、気づいてみれば合衆国大統領を人質にビルに立てこもっている。
主人公にしてみれば、成り行きでそうなってしまっただけなのに、容疑者がアイルランド人と判明すると、外部では様々な憶測が飛び交う。暴力から逃げだしたはずの彼は、遠いアメリカで紛争を象徴する人物にされ、暴力の真っ只中に引きずり込まれてしまうのだ。
デヴィッド・キャフリー監督の『ディボーシング・ジャック』は、そんなベイトマンの成功の出発点となった同名のデビュー長編の映画化で、ベイトマン自身が脚本も手がけている。
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