アイルランド紛争の歴史と現在に向けられた4つの視点
――ノンフィクションと小説、紛争の分岐点と世代や立場の違いをめぐって


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(初出:「SWITCH」1996年5月号、若干の加筆)

 アイルランドは、独立戦争の末に1922年にイギリスの直接支配から脱し、アイルランド自由国となり、後に共和国として独立を果たす。しかし、その22年にダブリンの議会で批准されたイギリスとの条約では、プロテスタントの入植が進み、カトリックの人口をしのいでいた北東部アルスター地方が、北アイルランドとしてイギリス領にとどまることになっていた。そこで、完全な独立を求める共和主義者と連合を堅持しようとする勢力のあいだで血みどろの争いが繰り広げられることになる。

 ここでは、ノンフィクションと小説を取り混ぜた四冊の本を道案内として、この紛争の歴史のなかでも特にふたつの時期に注目してみたい。そのひとつは、69年、北アイルランドで多数派プロテスタントと、激しい差別にさらされ公民権を要求するカトリックのあいだの緊張から巻き起こった暴動に端を発し、和平の行方が予断を許さない現代までほぼ四半世紀にわたる紛争の時期である。これは、私たちがニュースなどで知るところのいわゆるアイルランド紛争といっていいだろう。そして、その前にまず注目しておきたいのが、第二次大戦に前後する時期である。

 マーティン・ディロンの『25 Years of Terror: The IRA’s War against the British』とニール・ジョーダンの『Sunrise with Sea Monster』は、この時期に注目して対比してみると実に興味深く読むことができる。

 『25 Years of Terror』の著者ディロンは、北アイルランドの首都ベルファストの生まれで、テロリズムを中心にすでに数冊のノンフィクションを発表しているジャーナリストだ。本書は、タイトルからも察せられるように、この25年にわたるIRAの闘争の内幕を描いたノンフィクションで、テロの危険に晒されているにもかかわらず、一面的な報道で現実を何も知らされないイギリス国民に対して問題を明らかにしたいという希望も込められている。

 そういう意味では、主軸になっているのは現代に至る紛争の時期だが、実はその前半部分で、同じようにIRAによるイギリスへのテロが激化し、後の紛争に繋がる重要な時期として、第二次大戦前後の状況にページを割いているのだ。

 単純に考えれば、この問題を論じるには22年の条約批准に話が行きそうなものだが、ディロンは、30年代後半以降に現代に至る紛争の種が蒔かれたとし、話を進めていく。その30年代後半の時期、アイルランド共和国首相デ・ヴァレラは、イギリスとの関係修復をもくろみ、ナチスの台頭でイギリスに脅威が及ぶと中立路線を打ちだし、戦争中これを堅持する。この中立路線については、アイルランド現代史を扱う本によっては高く評価する向きもあるが、ディロンは非常に否定的に見ている。

 先が見えないこの中立政策に反発して、IRAは、ロンドンで爆弾テロを繰り返すようになる。するとデ・ヴァレラは、このテロが戦争の拠点を確保したいイギリスに共和国侵攻の口実を与えることを危惧し、IRAの弾圧に出る。そこで追い詰められたIRAは、ナチスの諜報局と接触を深め、協力を求めていくことになる。

 一方、40年にイギリス首相となったチャーチルは、デ・ヴァレラに対し、戦時下の協力の見返りにアイルランド統一を承認するという提案をしたが、デ・ヴァレラはこれを一蹴してしまう。ディロンによれば、おそらく中立への固執とイギリスへの根深い不信感が判断を誤らせたのだろうが、このときチャーチルには本当にその準備があったという。しかしこの出来事によって、チャーチルは北の連合支持勢力だけを信頼するようになった。

 
《データ》
“25 Years of Terror: The IRA’s War
against the British” by Martin Dillon ●
(Bantam books, 1996)
“Sunrise with Sea Monster”
by Neil Jordan●
(Vintage, 1996)
“Rebel Hearts: Journeys within
the IRA’s soul” by Kevin Toolis●
(Picador, 1995)
“The Cycle of Violence”
by Colin Bateman●
(Harper Collins, 1995)
 
 
 

 しかも、この中立政策は、戦後にも尾を引くことになる。中立は結果的に戦後の孤立に繋がり、経済も打撃を受け、さらにNATOに対する加盟も拒絶し、国際的な孤立を押し進めてしまう。しかし、もっと厳しい立場に立たされたのが、北のカトリックだった。というのも、北は戦時中にイギリスに全面協力し、戦後の結束を固め、経済成長によってプロテスタントが優遇されるようになり、カトリックとの格差が著しく広がっていくことなるからだ。

 そしてもうひとつ、なんとデ・ヴァレラは、45年にヒトラーの死が報じられたとき、ダブリンのドイツ大使館を訪れ、哀悼の意を表したというのだが、その影響や国民の心の傷は推して知るべしだろう。

 映画監督としてよく知られるニール・ジョーダンの小説『Sunrise with Sea Monster』は、このような背景を踏まえておくと、興味深いものになる。これまでの彼の小説は、独特の幻想的な世界が魅力で、社会や政治の要素は希薄だったが、この久しぶりの新作では、ある父子の絆を通して、幻想的なイメージの向こうにアイルランドの悲劇が浮かび上がってくる。

 物語の時代背景は、第二次大戦に前後する時期で、海辺の町に暮らす父子の断絶と邂逅が描かれる。かつてプロテスタントだった父親は、母親と結婚するときにカトリックに改宗する。彼は独立戦争に参加し、デ・ヴァレラが招いた内戦でこの指導者と対立したが、いまでは実権を掌握した彼の下で政権に参加している。

 挫折と裏切りの苦悩を背負った父親と息子のあいだには対話がない。物語の語り手である息子は、父親に対するアンビバレントな感情に戸惑いながら共和主義者を目指す。ところが、中立という空白のなかで、彼は、ナチスとの接触をはかるIRAとそれを弾圧しようとする当局の二重スパイの立場に追い込まれていく。

 そんなふうにして父と子は、アイルランドの混迷のなかでともに裏切りを生き、父親は対話もないままにこの世を去るのだが、この小説の結末は心にしみるものがある。デ・ヴァレラがヒトラーに哀悼の意を表した日、息子は、海から甦った父親と邂逅し、初めて深く心を通わせることになるのだ。

 この二作品に浮き彫りにされる悲劇的な歴史が現代の紛争に影を落としていることはもはやいうまでもないだろう。そこで、現代に至る紛争をめぐって注目したいのが、ケヴィン・トゥーリスの『Rebel Hearts: Journeys within the IRA’s soul』とコリン・ベイトマンの『Cycle of Violence』である。

 『Rebel Hearts』は、やはりIRAの内幕を描くノンフィクションだが、ディロンの作品とは著者のスタンスがまったく違っている。アイルランドからイギリスに移民した両親のあいだに生まれた著者トゥーリスは、アイルランド紛争から遠く離れた世界で育ったが、しだいに自分の祖先の体験を知るようになり、紛争とIRAの存在に強く引きつけられていく。彼は北アイルランドに行き、IRAの魂に触れるためにメンバーやその家族に取材を進めていくが、そんな体験は緊張感にあふれている。

 たとえば、IRAのメンバーだった兄を殺された娘に会いにいった彼は、彼女を車に乗せて話を聞いているだけで誇らしい気持ちになってくる。だが、その後で屈辱を味わう。彼は娘から、兄が殺された現場に連れていくように頼まれるのだが、彼にはプロテスタント過激派やイギリス特殊部隊が監視している場所にIRAの家族と行く勇気はなかった。そして、そんな体験を乗り越えていく彼の物語からは、焼き討ちにあい、差別され、十代でIRAのメンバーとなる以外に出口がなかった人々の生きざまと死にざまが生々しい迫力で浮かび上がってくる。

 一方、作家コリン・ベイトマンの小説のスタンスは、トゥーリスの対極にあるといってもいい。彼は、94年に『Divorcing Jack』(2002年に『ジャックと離婚』のタイトルで邦訳が出た)でデビューし、『Cycle of Violence』が二作目となるが、この不条理な状況を一貫してブラック・ユーモアで描いている。

 この新作では、紛争の縮図のような田舎町が舞台になる。町には、カトリックとプロテスタントのパブが一軒ずつあり、住人たちは飲んではお互いを罵り合っている。そんな町の新聞社で記者が蒸発してしまったことから、ベルファストで記者をしている主人公が、助っ人として、“サイクル・オブ・バイオレンス”と名付けた自転車に乗ってやってくる。

 彼は、妙な成り行きから蒸発した記者の恋人と恋に落ち、彼女の心の傷になっている過去の暴行事件について調べだすことになるのだが、そこには皮肉な展開が待ち受けている。この事件そのものは“紛争”とは何の関係もないのだが、主人公の真相究明が微妙な波紋となって紛争の歯車を動かしてしまい、過去を隠して暮らしていた加害者たちを窮地に追い込み、彼らは次々と悲惨な死を遂げていくことになる。これは、現代の北アイルランドならではの暴力的なブラック・ユーモアだといえる。

 この後半の二冊は、明らかに前半とは紛争に対するスタンスが違う。実は、前半のディロンが49年、ジョーダンが50年生まれであるのに対して、トゥーリスが59年、ベイトマンは62年とほぼ十年の開きがある。

 後半の二冊は新しい世代の視点ということになる。その二冊のスタンスはまったく対照的だが、誤解を恐れず書けば、そこには生々しい記録とブラック・ユーモアが瞬時に切り替わるような錯覚を起こす瞬間が多々ある。そんなふうに現実とブラック・ユーモアが紙一重に感じられるところに、現代の紛争の深刻さを垣間見ることができる。


(upload:2013/01/23)
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