アイルランドの厳しい生活と家族の重さ
――『アンジェラの灰』、『The Bucher Boy』、『Down by the River』をめぐって


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(初出:「SWITCH」1997年12月号、若干の加筆)
 

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 これに対して他の二冊は小説だが、このフランクの世界を踏まえて読むとなかなか興味深い。

 パトリック・マッケイブの『The Butcher Boy』は、著者にとって3作目の長編でアメリカでのデビュー作になる。彼はこの後に『The Dead School』を発表する一方、旧作の『Carn』も出版されるなど、アメリカでも注目を浴びている。

 舞台は60年代のアイルランドのスモールタウン。物語は、語り手にとって20年前だか40年前だかも定かでない回想として綴られる。それはこの主人公の悲劇的な運命を暗示してもいる。

 両親と3人で暮らす主人公の少年フランシーの家庭は、父親が酒に溺れているために貧しく、母親との諍いがたえない日々を送っている。閉鎖的なこの町の息が詰まるような生活のなかで、彼にとって救いといえるのは、いつもつるんでいる親友ジョーとロンドンに渡って成功している叔父の存在だった。ところが、ロンドンからニュージェントという一家が引っ越してきたことがきっかけとなって、彼の人生は歯車が狂いだす。

 フランシーは豊かな中流の生活に激しい嫉妬をおぼえ、同級生となったこの一家の息子に嫌がらせを繰り返す。彼は、母親が神経を病んでいて、この嫌がらせのしわ寄せがその母親に圧し掛かっていることに気づいていなかった。

 それに気づいたときには母親は自殺し、歪んだ父親のせいで叔父とは疎遠になり、ジョーはニュージェント家と親しくなり、彼は現実と妄想が入り交じる世界に引き込まれていく。彼は、ロボトミーまがいの手術を施されて自分をブタだと思い込むようになる一方、屠殺場でブタの糞尿と泥にまみれて働き、笑い者になることに自虐的な喜びすら感じるようになる。

 そんな彼の憎しみの矛先は、最初に彼をブタ呼ばわりしたニュージェント家の母親に向けられるようになり、物語はスプラッター・ホラー顔負けの血なまぐさい修羅場に向かっていくのだ。

 
《データ》
“Angela’s Ashes”by Frank McCourt●
(flamingo)
“The Butcher Boy”by Patrick McCabe●
(Delta)
“Down by the River”by Edna O’Brien●
(Farrar Straus & Giroux)
 
『アンジェラの灰』 フランク・マコート●
土屋政雄訳(新潮社、1998年)
 

 一方、『Down by the River』は、アイルランド出身で60年代から執筆を続けている女性作家エドナ・オブライエンの新作である。彼女は、これまで男社会のなかで虐げられる女性の苦悩を描いてきたが、この新作ではアイルランドで数年前に起きた実話をヒントに、象徴的な家族の悲劇が浮き彫りにされる。

 アイルランドでは妊娠中絶が禁止されているため、中絶するためにはイギリスに行くしかないが、数年前にレイプされて妊娠したと思われる14歳の少女がロンドンで中絶しようとしたことが明らかになって、大きな論争を巻き起こすことになった。著者は、この出来事を家族の悲劇に置き換えてその闇を見つめようとする。

 ヒロインはスモールタウンに両親と暮らす14歳のメアリで、一家は家畜の飼育で細々と暮らしている。彼女は修道院に移って生活を始めるが、病弱で長い間苦労してきた母親が亡くなったことが悲劇の引き金となる。父親は以前にも増して酒に溺れるようになり、強引に彼女を家に呼び戻す。そこで彼女は父親にレイプされ妊娠してしまうのだ。

 誰にもこの事実を明かすことができない彼女は、生前の母親がよく祈りを捧げていた川に身を投げようとするが、母親を知る富裕な未亡人に止められる。14歳の彼女は、父親の許可なくロンドンに渡ることはできなかったが、事情を察した未亡人は、口実を設けて彼女とロンドンに渡る。ところが町の隣人たちはふたりの行動に疑念を持ち、官憲に通報してしまう。ふたりにはすぐに政治的な圧力がかかり、彼らは目的を達することなく戻ることを余儀なくされるばかりか、マスコミの注目の的にされてしまう。

 メアリを取り巻く世界には様々な価値観が渦巻いている。彼女の親友はいつもセックスのことで頭がいっぱいになっている。敬虔なカトリックの女たちは彼女を軟禁して教化し、自殺と中絶を思いとどまらせようとする。リベラルなグループは、彼女を擁護して法廷で争う準備をする。しかし沈黙を守り、死を望む彼女の本当の苦悩には誰も気づかない。著者はそんな物語を通して、この国が世界の模範であるのか現実を見失っているのかを見極めようとするのだ。

 このように三つの物語からはそれぞれに家族の悲劇を通してアイルランドという世界が浮かび上がってくる。それは遠い現実かもしれない。しかし、いまという時代のなかで、このような家族の重さやと途轍もない絶望というものに、自分や自分が生きる世界を見つめ直すヒントを見出す人は少なくないのではないだろうか。


(upload:2013/01/14)
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