ジョシュア・オッペンハイマー・インタビュー
Interview with Joshua Oppenheimer


2014年 渋谷
アクト・オブ・キリング/The Act of Killing――2012年/デンマーク=ノルウェー=イギリス/カラー/121分/インドネシア語/ヴィスタ/DCP/5.1ch
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(初出:「キネマ旬報」2014年5月上旬号)

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■■認知的不協和という心理■■

 インドネシアではジェノサイドの後で、政府によって共産主義者の残酷さを強調するプロパガンダ映画が製作され、国民に先入観を植えつけてきた。この映画ではそんなプロパガンダも意識されている。

 新聞社の社主は、共産主義者が憎まれるようにするのが仕事だったと語る。かつてアンワルとともに虐殺を実行したアディという男は、殺した後で共産主義者を悪者に見せるのは簡単なことで、残酷だったのは自分たちだと平然と語る。彼らはダブルスタンダードをわきまえているから、この映画のなかでも変わることがない。しかしアンワルは違う。アメリカ映画にのめり込める彼は、プロパガンダも信じているように見える。だからその文脈に沿って自分を美化する映画を作ろうとする。だが一方で非常に正直な人間でもある彼は、映画のなかの自分が本来の自分と違うことを受け入れる。だから彼だけが変化する。

「それは本当に洞察に満ちた指摘です。山形国際映画祭で上映されたのは、40分長いロング・バージョンですが、そのなかにアディとアンワルが、政府が作ったプロパガンダ映画をどう思っているのか語る場面があります。アディにとってそれは嘘ですが、アンワルは自分の気持ちを楽にしてくれるものだと答えます。彼は、わかっていても違うことができてしまう認知的不協和という心理的な状態にあります。嘘だとわかっていても、信じることができるということです。加害者のなかでも地位の低い実行者たちは、みなそうなのではないかと思います。ただ、アディだけが違います。彼ははっきり嘘だと認めながら、ごく普通に生きています。新聞社の社主や当時の副大統領などは、嘘だとわかっているし、それを認めます。指示をしただけで実際の殺人とは距離があり、おぞましい犯罪のイメージに苦しめられていないからです。

 それから、映画作りがアンワルに影響を及ぼす理由についてですが、彼の内面には葛藤があったと思います。一方では、滝を背景にした場面のように自分を美化するイメージを生み出したいと思っていました。しかし、そんなイメージは彼に本当の慰めや救いをもたらしません。あるレベルではそれが嘘だとわかっているのです。だから映画の終盤で滝の場面の映像を観ながら、これはとても美しく素晴らしいけど、(自分が犠牲者を演じている)拷問の場面を見せてくれと言うのです。アンワルの別の部分は、自分の痛みと向き合うことを求めているのです。嘘は本当の救いをもたらさないとわかっているからです」


◆スタッフ◆
 
監督   ジョシュア・オッペンハイマー
Joshua Oppenheimer
共同監督 クリスティーヌ・シン、匿名希望
Christine Cynn, Anonymous
製作総指揮 エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、他
Errol Morris, Werner Herzog, etc
撮影 カルロス・マリアノ・アランゴ=デ・モンティス、ラース・スクリー
Carlos Arango De Mntis, Lars Skree
編集 ニルス・ペー・アンデルセン、ヤーヌス・ビレスコウ・ヤンセン、マリコ・モンペティ、チャーロッテ・ムンク・ベンツン、アリアナ・ファチョ=ヴィラス・メストル
Niels Pagh Andersen, Janus Billeskov Jansen, Mariko Montpetit, Charlotte Munch Bengtsen, Ariadna Fatjo-Vilas Mestre
音楽 エーリン・オイエン・ヴィステル
Elin Oyen Vister
 
◆キャスト◆
 
    アンワル・コンゴ
Anwar Congo
  ヘルマン・コト
Herman Koto
  アディ・ズルカドリ
Adi Zulkadry
  イブラヒム・シニク
Ibrahim Sinik
  ソアドゥオン・シレガル
Soaduon Siregar
  スルヨノ
Suryono
  ヤプト・スルヨスマルノ
Yapto Soerjosomarno
  ユスフ・カラ
Jusuf Kalla
  シャムスル・アリフィン
Syamsul Arifin
  サフィト・パルデデ
Safit Pardede
  サヒヤン・アスマラ
Sakhyan Asmara
-
(配給:トランスフォーマー)
 

■■次回作では沈黙の本質を問う■■

 オッペンハイマーの次の作品『The Look of Silence』では、加害者ではなく生存者が対象になるが、今度はどんなアプローチを試みようとしているのだろうか。

「問おうとしていることが違います。生存者にとって加害者たちに囲まれて生きるというのはどういうことなのか。この恐ろしい沈黙の本質とはなにか。それから生存者の視点を通して加害者を見る映画でもあります。生存者の家族が息子を殺した人間を捜す話です。私がアンワルに出会う前に撮影した40人の加害者たちの映像のなかから、一家の末弟が犯人を見つけ出し、兄の死から余儀なくされてきた沈黙を破ります。生存者についての映画を作るときには、クリシェの地雷原を通らなければなりません。そういう作品のほとんどは、観客はなにも悪くないと言って彼らを安心させるためにあります。残虐行為の被害者を聖人のように描き、観客が彼らと同じ心境になるということです。そんなメッセージは、『アクト・オブ・キリング』を観たあとでは、嘘であるだけでなく、偽善にもなります。そういうクリシェを回避することで、恐怖から生まれた沈黙、その沈黙を破る必然とそれにともなうトラウマについてのある種の詩のような映画になると思います」

 オッペンハイマーは、グローバリゼーションやジェノサイドとそれ以後の現実が、決して私たちと無関係ではないことを強調する。そんな姿勢は彼のルーツと無関係ではないだろう。

「私の父と義母はホロコーストから逃れることができましたが、義母の家族などはみな犠牲になりました。私は成長する過程で、政治や文化の目的は悲劇が再び起こるのを防ぐことにあるという意識を培ってきました。しかしこの「二度と再び」が狭い意味で「私たちに二度と再び」になると、世界を私たちと彼らに分けてしまい、暴力が繰り返されます。だからこそ『アクト・オブ・キリング』がとても重要になります。私たちは加害者を怪物としてではなく、過去に恐ろしいことをやった人間として見ます。彼らを怪物とみなし、世界を私たちと彼ら、善人と怪物に分けてしまうことが、繰り返しを生む種になるのです」

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(upload:2014/08/04)
 
 
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