アフタンディル・マハラゼ・インタビュー
Interview with Avtandil Makharadze


2008年
懺悔/Repentance――1984年/ソヴィエト(グルジア)/カラー/153分/スタンダード/モノラル
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(初出:「キネマ旬報」2009年1月上旬号)

真実や特定の話題を自由に語れない状況は
いつでもどこでも起こり得る――『懺悔』(1984)

 1984年に旧ソビエト連邦の構成国だったグルジア共和国で製作され、ペレストロイカの象徴となったテンギズ・アブラゼ監督の『懺悔』。ようやく日本公開されることになった幻の映画には、現代でも通用する鋭い批判精神が埋め込まれ、新たな意味を持って迫ってくる。

 架空の地方都市を舞台にした物語は、長く権力を振るってきた市長ヴァルラム・アラヴィゼの訃報から始まり、一人の女性の告発と回想を通して、封印されたスターリン時代の真実が明らかにされていく。そんな映画のなかで、独裁者のヴァルラムと彼の息子で日和見主義者のアベルの二役を演じているのが、アフタンディル・マハラゼだ。

「脚本を読んでとても気に入ったのですが、アブラゼ監督の最初の構想では、私はアベル役を演じることになっていました。確かにアベル役にも興味を感じましたが、独裁者のヴァルラムの方がもっと面白いと思いました。そこで監督に相談すると、十日ほどしてから一人二役で演じてくれと頼まれました。実はそういうことは、私の俳優人生のなかでは珍しいことではなくて、監督から話がきたときに、別の役をやりたいといって我が儘を通したことは何度もあります」

 ソ連時代には厳しい検閲があり、『懺悔』に主演するような俳優なら、作品が検閲に引っかかることもあったはずだが。

「何度もありました。ここで個々の作品を取り上げて、経緯を詳しく語るのは難しいですが、たとえば、ある作品は撮影がだいぶ進んでから突然中止になってしまいました。グルジアやソ連ではなく、国外で撮った別の作品の場合には、撮影した国でしか公開されませんでした。それから、映画祭で賞も受賞したのに、その一回だけしか上映されなかった作品もあります。どうも私はそういう作品ばかりに出演する運命にあるようです。もちろんこの映画の場合も、テーマがテーマですから、当時の状況では完成してもすぐに公開されるとは思っていませんでしたが」

 マハラゼは、この映画に盛り込まれたスターリン批判をどのように感じていたのだろうか。

「それは脚本に明確に表れていました。幸運にも私の家族や近しい人のなかには、スターリンの犠牲者はいませんでした。ただ、真実とか特定の話題を自由に語ることができないというような状況は、スターリンの時代に限ったことではなく、いつどこでも起こり得ることであって、そういうテーマに触れることについてはなにも恐れていませんでした。重要なのは、どう演じるかですから」


◆プロフィール◆
アフタンディル・マハラゼ
1943年7月16日生まれ1965年にトビリシ国立演劇学校を卒業。演劇学校在学中に俳優としてデビューし、様々な作品に出演。その際、「ベニスの商人」のシャイロック役で、専門家の関心を集めた。1965年からトビリシにあるショタ・ルスタヴェリ劇場に長年所属し、50以上の役を演じてきたが、現在はフリーで活動している。舞台俳優としてヨーロッパで公演した作品には、モリエールの「いやいやながら医者にされ」のスガナレル役や、シェイクスピアの「リチャード3世」のエドワード4世役や「リア王」のグロスター役などがある。映画俳優としては、これまでにグルジアフィルム、モスフィルム、レンフィルム、アゼルバイジャン・フィルム等の映画スタジオと仕事をしてきた。
 

 


 スターリンはロシア人ではなくグルジア出身だが、グルジアの人々はそのことを意識することがあるのだろうか。

「スターリンがグルジア人であったことに誇りを持ち、彼を信奉する狂信的な人たちも確かに存在します。しかしそれはあくまで少数派で、一般大衆の大半は、特別な感情を持っているわけではありません。あるいは、その質問をこのように置き換えることもできます。ドイツ人やイタリア人にヒトラーやムッソリーニのことをどう思うか尋ねるということです」

 だが、スターリンの場合は、グルジアの独裁者になったわけではない。その違いを確認すると、こんなユーモラスな答えが返ってきた。

「グルジア人は才能があるので、彼にもそんな才能の一端が表れていたのでしょう(笑)」

 グルジア出身のスターリンがロシアの独裁者になり、グルジアで製作された『懺悔』がペレストロイカの象徴になった。その符号はなかなか興味深いが、もちろんヴァルラム=スターリンというわけではない。この映画には、含みのある様々な表現が全編に散りばめられている。

「間接的な表現は、レベルの高い芸術に欠かせないものです。そういう要素がなければ、この映画に出演していなかったでしょう。ヴァルラムのメガネや髭、服装などは、彼が集合的な独裁者であることを遠まわしに物語っています。彼が、誰か具体的な独裁者であったなら、問題が矮小化され、映画のスケールとか内包する力がもっと小さなものになってしまったと思います。また、彼がオペラを歌ったり、詩を詠んだりするところにもその性格が表れています。彼は、音楽や文学などの文化にも通じている。そんな才能も兼ね備えた独裁者は、より恐ろしい存在になるということです。監督にとっても、私にとっても、多面性を持った人物を作り上げるということが、とても興味深く、また重要でもありました」

 しかし、この映画が批判しているのは独裁者だけではない。注目すべきは懺悔≠ニいうタイトルだ。懺悔は、過去と向き合うことが前提となる。過去から目を背けてしまえば、歴史は繰り返す。

「そういう状況というのは、いつまでたっても変わらないことでしょう。もしかすると一時的に弱くなったりすることはあるかもしれません。しかし私は、それがなくなるというような希望はまったく持っていません。私たちの小さな地球には、この映画で描かれた世界よりもさらに酷い状況にある場所がたくさんありますから」


(upload:2009/02/21)
 
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