スターリンはロシア人ではなくグルジア出身だが、グルジアの人々はそのことを意識することがあるのだろうか。
「スターリンがグルジア人であったことに誇りを持ち、彼を信奉する狂信的な人たちも確かに存在します。しかしそれはあくまで少数派で、一般大衆の大半は、特別な感情を持っているわけではありません。あるいは、その質問をこのように置き換えることもできます。ドイツ人やイタリア人にヒトラーやムッソリーニのことをどう思うか尋ねるということです」
だが、スターリンの場合は、グルジアの独裁者になったわけではない。その違いを確認すると、こんなユーモラスな答えが返ってきた。
「グルジア人は才能があるので、彼にもそんな才能の一端が表れていたのでしょう(笑)」
グルジア出身のスターリンがロシアの独裁者になり、グルジアで製作された『懺悔』がペレストロイカの象徴になった。その符号はなかなか興味深いが、もちろんヴァルラム=スターリンというわけではない。この映画には、含みのある様々な表現が全編に散りばめられている。
「間接的な表現は、レベルの高い芸術に欠かせないものです。そういう要素がなければ、この映画に出演していなかったでしょう。ヴァルラムのメガネや髭、服装などは、彼が集合的な独裁者であることを遠まわしに物語っています。彼が、誰か具体的な独裁者であったなら、問題が矮小化され、映画のスケールとか内包する力がもっと小さなものになってしまったと思います。また、彼がオペラを歌ったり、詩を詠んだりするところにもその性格が表れています。彼は、音楽や文学などの文化にも通じている。そんな才能も兼ね備えた独裁者は、より恐ろしい存在になるということです。監督にとっても、私にとっても、多面性を持った人物を作り上げるということが、とても興味深く、また重要でもありました」
しかし、この映画が批判しているのは独裁者だけではない。注目すべきは懺悔≠ニいうタイトルだ。懺悔は、過去と向き合うことが前提となる。過去から目を背けてしまえば、歴史は繰り返す。
「そういう状況というのは、いつまでたっても変わらないことでしょう。もしかすると一時的に弱くなったりすることはあるかもしれません。しかし私は、それがなくなるというような希望はまったく持っていません。私たちの小さな地球には、この映画で描かれた世界よりもさらに酷い状況にある場所がたくさんありますから」 |