筋金入りの共産主義者である“彼女”の叔母は、「共産主義が滅び、代わって現れたのは“強欲”。欲しくもない物まで求め続ける生き方」と語る。政治家である“彼女”の夫は、豊かな生活のなかで、理想と現実のギャップを埋めることもできず、B・B・キングに酔うときだけ、かつての自分を取り戻す。そんな言葉や姿の背景には、冷戦の終焉とグローバリゼーションという時代の大きな変化がある。
「この物語には、旧左翼や共産主義の終焉、60年代、70年代の夢や理想の終焉といった要素が盛り込まれています。“彼女”の夫は、おそらくかつてはラディカルで、世界を変えられると思って政治家になったのですが、その結果、自分自身が敵になっていることに気づく。叔母は、ずっと自己の信念に忠実に生きてきた人です。けれども、人生の最期にきて過去を振り返り、失望を感じるのです」
“彼女”は、叔母が憧れながら、訪れることができなかったキューバに向かう。この終盤のドラマについては、キューバをいたずらに美化しているという印象を持つ人もいるかもしれない。だが、これは、現実の国や土地というよりも、理想の象徴、あるいはグローバリゼーションに侵蝕されてはいない場所の象徴と見るべきだろう。
「キューバの場面はとても短く、複雑な場所として描くことはできませんでしたが、現実というよりも、叔母の信じた理想の象徴、物質主義や神の預言に追従するのではなく、市民に支えられた社会の象徴として描いています。私たちは、キューバが、人権の侵害や物資の欠乏などの問題を抱え、完全な社会でないことを知っています。しかしそれでも、あれほど小さな国でありながら、ある種の純粋さによっていまだにアメリカの脅威となりつづけているのです。また、このキューバには、中東と西側のどちらにも属さない、どちらとも異なる理想の場所という意味もあります」
この映画はポッターの集大成といっても過言ではないが、その制作過程で見逃せないのが、脚本に協力している著名な美術評論家ジョン・バージャーの存在だ。
「バージャーは以前から私のヒーローでしたが、『タンゴ・レッスン』の公開後に、映画を観た彼からファンレターをもらい、交流を持つようになりました。彼は、私の師であり、友人でもあります。彼の著作はほとんど読んでいますが、たとえば、外国人労働者について書かれた“A Seventh Man”はとても詩的で、政治的にラディカルな視点と審美的な視点が見事に統合されています」
この政治的な視点と審美的な視点の統合という表現は、ポッターの世界を理解するヒントになるだろう。たとえば、この映画には、監視カメラの映像も盛り込まれているが、彼女はその狙いをこのように語る。
「.イギリスは人口に対する監視カメラの普及率が最も高い国で、ロンドンでは私たちは、週に350回くらいカメラに映っているはずです。それはまさに“ビッグ・ブラザー”ですが、それによって誰が誰を管理しているのかということも問題になってきます。一方で、ビルのモニタールームに映し出される映像は、大がかりなインスタレーションのようでもあります。私は、監視のその政治的な側面と審美的な側面の両方をとらえたかったのです」
そして最後に、どうしても外すわけにはいかないのが、ジェイムズ・ジョイスだ。この映画の原題は“Yes”で、彼の『ユリシーズ』と同じように、この言葉で締め括られる。
「そう、ジョイスは私のもうひとりのヒーローで、原題の“Yes”は『ユリシーズ』の最後の言葉から引用しました。私はずっとこの小説に描かれた意識の流れを映画で表現したいと思いつづけてきたのです」
『ユリシーズ』の最終挿話は、“Yes”で始まり“Yes”で終わるヒロインのとてつもなく長いモノローグだ。この映画には、病院のベッドに横たわる叔母、家のなかを磨き上げる掃除婦、そして、キューバでビデオカメラと向き合う“彼女”の素晴らしいモノローグがある。分子生物学にも愛にも真理を見失いかけていた“彼女”は、叔母や掃除婦と視点を共有することで、再生を果たす。つまり、映画を締め括る“Yes”は、“彼女”と“彼”の間で確認される肯定だけではなく、“彼女”が、汚れや見えないものも含めた世界を受け入れていくことを意味してもいるのだ。 |