サリー・ポッター・インタビュー02
Interview with Sally Potter 02


2005年
line
(初出:「キネマ旬報」2005年11月上旬号)

 

 

神、見えないもの、他者、政治、監視カメラ
そして、『ユリシーズ』と意識の流れ

 

 サリー・ポッターに初めてインタビューしたのは、彼女が『タンゴ・レッスン』の公開に合わせて来日したときだった。新作の『愛をつづる詩』を観て筆者がまず想起したのは、そのインタビューにおけるこんな発言だ。

「キリスト教とユダヤ教の大きな違いは、キリスト教徒がひたすら信じるしかないのに対して、ユダヤ教の場合にはまず疑うことから始まるということです。不思議に思えるかもしれませんが、神と議論を戦わせることもできるし、神は存在するのかという疑問を投げかけることすら可能なのです。それだけに、芸術家や無神論者にとってユダヤ教はとても魅力的な宗教ともいえるのです」

 『タンゴ・レッスン』には、無神論とユダヤ教をめぐる神の探求があった。9・11以後を意識した『愛をつづる詩』でも、西洋人の“彼女”とアラブ人の“彼”を主人公にした物語から浮かび上がってくるのは、キリスト教とイスラム教の対置という単純な図式ではない。“彼女”の叔母は無神論者で、かつて北アイルランドのベルファストでその叔母と暮した“彼女”は、学校で学ぶカトリックと無神論というふたつの世界観の狭間で、科学のなかに普遍の真理を見出す道を選択し、分子生物学者となった。

「私たち映像作家は、毎回まったく違った新しいテーマを扱っているという幻想に取り憑かれているものですが、このテーマは、生涯に渡って、あるいは生まれ変わっても(笑)、引き継がれていくものではないかと思います。このテーマのとても興味深いところは、イスラム教やキリスト教の原理主義といった政治的な問題に発展していくと同時に、神はどこにいるのか、この塵や砂のなかなのか、という形而上学的な問題にも発展していくことです。私が子供の頃には、宗教の時代が終わり、世俗的で物質主義的な時代に移行したという見方が支配的でした。しかし、私の人生のなかでは宗教はいつも大きな問題でしたし、世界もまた変わりつつある。アメリカでは、黙示録を信じる原理主義者が国を動かし、宗教が再び重要なテーマになっているのです」

 男女の愛の軌跡を描くこの映画には、そんな神の探求も含めて、驚くほど多様な視点が盛り込まれている。そして、そのなかでも異彩を放っているのが、掃除婦の存在だ。彼女は、疎外された見えない存在であると同時に、すべてが見えている存在でもある。

「これは、ギリシャ悲劇で役者と観客の間に立って、注釈者や仲介者の役割を果たすコロスという演劇装置の応用です。またそれと同時に、馬鹿げた階級の仕切りに対する私なりの批評でもあります。掃除の仕事は軽視されがちですが、ここでは彼女は、哲学者であり、科学者であり、教師であり、そして汚れに関する形而上学者でもある。また、掃除婦だけが、カメラを意識し、映画が作られていることを知っている。それは、状況をすべて認識していることを意味しているのです」

 掃除婦は、完全に微生物を排除したり、汚れを消し去ることはできないと繰り返し語る。そこには現代に対する批判が込められている。これまで人間は、異物と接することで抗体や免疫を生み出してきた。しかし、いまでは除菌や抗菌という言葉に踊らされ、見えないものをすべて排除しようとする。それは、理解できない宗教や文化に先入観を持ち、排除しようとすることにも繋がっている。

「まったくその通りです。清潔であることへの強迫観念は、後期資本主義社会の一面だと思います。それは、未知のものに対する恐れや罪悪感の現れなのかもしれません。たとえば、アメリカには清潔をめぐるパラドックスがあります。一方では、強迫観念のために、トイレに始まりあらゆるものを徹底的に殺菌しようとします。ところがもう一方では、浪費によって、地球を破壊する廃棄物を世界で最も多く生み出してもいる。馬鹿げた強迫観念や無知によって、有害なものと、有益なものが一緒くたになってしまっているのです」


◆プロフィール◆

サリー・ポッター
1949生まれ。映画制作を目指して16歳のときに学校を中退。London Filmmakers Co-opに入り、 実験的短編映画を作り始める。その後、London School of Contemporary Danceで、ダンサーとして振り付け師として訓練を受け、The Limited Dance Companyを設立。「Mounting」「Death and the Maiden」「Berlin」などでパフォーマンス・アーティスト、舞台監督として数々の賞に輝く。また、いくつかのミュージックバンドにも属し(FIG, The Film Music Orchestraなど)、作詞家、歌手としても活躍している。作曲家リンジー・クーパーとのコラボレーションで(シンガーソングライターとして参加)「Oh Moscow」という連作歌曲をヨーロッパ各地、ロシア、北米で披露。音楽活動をその後も続け、『オルランド』(92)のサウンドトラックをデヴィッド・モーションと共作し、『タンゴ・レッスン』(97)のメロディを制作。『愛をつづる詩』では、オリジナルトラックのプロデュースと作曲を担当。ポッター監督は世界の映画祭で高い評価を受けた短編映画『Thriller』を機に、映画作りを再開。長編映画第一作目は、ジュリー・クリスティー主演の『The Gold Diggers』(83)となる。短編映画制作は『The London Story』(86)、チャンネル4のドキュメンタリー・シリーズ『Tears, Laughter, Fears and Rage』(86)、ソビエト映画の女性に関するプログラム『I Am An Ox, I Am A Horse, I Am A Man, I Am A Woman』へと続く。国際的な評価を得た『オルランド』(92)でポッター監督の作品は世界的注目を浴びるようになる。ヴァージニア・ウルフの長編小説を自身が脚本を手がけ、ティルダ・スウィントン出演で映画化された『オルランド』はアカデミー賞2部門にノミネートされたほか、ヨーロピアン・フィルム・アカデミー、1993年度ヤング・ヨーロピアン・フィルム最優秀賞、セント・ペテルスブルグ最優秀賞、テッサトニキなど、25を超える世界的な映画賞に輝いた。『タンゴ・レッスン』(97)は、(自らの出演し、若きタンゴの巨匠パブロ・ヴェロンとのダンスを披露した)ベニス映画祭に出品され、アルゼンチンの映画祭で「Ombu de Oro」最優秀映画賞、Sociedad Argentina de Autores y Compositores del MusicaではSADAIC大賞を受賞、またBAFTA賞およびナショナル・ボード・オブ・レビューでは最優秀映画賞にノミネートされた。第二次世界大戦前夜のパリ、オペラ界の物語『耳に残るは君の歌声』(00)は記憶に新しい。
(『愛をつづる詩』プレスより引用)

 

 

 
 
 

 筋金入りの共産主義者である“彼女”の叔母は、「共産主義が滅び、代わって現れたのは“強欲”。欲しくもない物まで求め続ける生き方」と語る。政治家である“彼女”の夫は、豊かな生活のなかで、理想と現実のギャップを埋めることもできず、B・B・キングに酔うときだけ、かつての自分を取り戻す。そんな言葉や姿の背景には、冷戦の終焉とグローバリゼーションという時代の大きな変化がある。

「この物語には、旧左翼や共産主義の終焉、60年代、70年代の夢や理想の終焉といった要素が盛り込まれています。“彼女”の夫は、おそらくかつてはラディカルで、世界を変えられると思って政治家になったのですが、その結果、自分自身が敵になっていることに気づく。叔母は、ずっと自己の信念に忠実に生きてきた人です。けれども、人生の最期にきて過去を振り返り、失望を感じるのです」

 “彼女”は、叔母が憧れながら、訪れることができなかったキューバに向かう。この終盤のドラマについては、キューバをいたずらに美化しているという印象を持つ人もいるかもしれない。だが、これは、現実の国や土地というよりも、理想の象徴、あるいはグローバリゼーションに侵蝕されてはいない場所の象徴と見るべきだろう。

「キューバの場面はとても短く、複雑な場所として描くことはできませんでしたが、現実というよりも、叔母の信じた理想の象徴、物質主義や神の預言に追従するのではなく、市民に支えられた社会の象徴として描いています。私たちは、キューバが、人権の侵害や物資の欠乏などの問題を抱え、完全な社会でないことを知っています。しかしそれでも、あれほど小さな国でありながら、ある種の純粋さによっていまだにアメリカの脅威となりつづけているのです。また、このキューバには、中東と西側のどちらにも属さない、どちらとも異なる理想の場所という意味もあります」

 この映画はポッターの集大成といっても過言ではないが、その制作過程で見逃せないのが、脚本に協力している著名な美術評論家ジョン・バージャーの存在だ。

「バージャーは以前から私のヒーローでしたが、『タンゴ・レッスン』の公開後に、映画を観た彼からファンレターをもらい、交流を持つようになりました。彼は、私の師であり、友人でもあります。彼の著作はほとんど読んでいますが、たとえば、外国人労働者について書かれた“A Seventh Man”はとても詩的で、政治的にラディカルな視点と審美的な視点が見事に統合されています」

 この政治的な視点と審美的な視点の統合という表現は、ポッターの世界を理解するヒントになるだろう。たとえば、この映画には、監視カメラの映像も盛り込まれているが、彼女はその狙いをこのように語る。

「.イギリスは人口に対する監視カメラの普及率が最も高い国で、ロンドンでは私たちは、週に350回くらいカメラに映っているはずです。それはまさに“ビッグ・ブラザー”ですが、それによって誰が誰を管理しているのかということも問題になってきます。一方で、ビルのモニタールームに映し出される映像は、大がかりなインスタレーションのようでもあります。私は、監視のその政治的な側面と審美的な側面の両方をとらえたかったのです」

 そして最後に、どうしても外すわけにはいかないのが、ジェイムズ・ジョイスだ。この映画の原題は“Yes”で、彼の『ユリシーズ』と同じように、この言葉で締め括られる。

「そう、ジョイスは私のもうひとりのヒーローで、原題の“Yes”は『ユリシーズ』の最後の言葉から引用しました。私はずっとこの小説に描かれた意識の流れを映画で表現したいと思いつづけてきたのです」

 『ユリシーズ』の最終挿話は、“Yes”で始まり“Yes”で終わるヒロインのとてつもなく長いモノローグだ。この映画には、病院のベッドに横たわる叔母、家のなかを磨き上げる掃除婦、そして、キューバでビデオカメラと向き合う“彼女”の素晴らしいモノローグがある。分子生物学にも愛にも真理を見失いかけていた“彼女”は、叔母や掃除婦と視点を共有することで、再生を果たす。つまり、映画を締め括る“Yes”は、“彼女”と“彼”の間で確認される肯定だけではなく、“彼女”が、汚れや見えないものも含めた世界を受け入れていくことを意味してもいるのだ。


(upload:2007/11/11)
 
 
《関連リンク》
サリー・ポッター 『選ばなかったみち』 レビュー ■
サリー・ポッター 『愛をつづる詩』 レビュー ■
サリー・ポッター 『耳に残るは君の歌声』 レビュー ■
サリー・ポッター・インタビュー01 『タンゴ・レッスン』 ■

 
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp