■■土地に深く根ざした世界を切り開く南部人の感性■■
凍りついた川、空を飛んでいく鳥、そしてフェンスの映像。この映画は、そんな象徴的なオープニングから常に登場人物を取り巻く風景が印象に残る。ハントには風景に対する独特のこだわりがあるように思える。
「確かに私には土地に対する特別な感覚があります。映画のアイデアは、ほとんど土地から生まれてきます。『フローズン・リバー』の場合も、ストーリーが浮かんでから、場所をどこにするか考えるというようなことは一切ありませんでした。なぜなら、ストーリー以前に中心的なイメージがあったからです。それは、凍った川を車に乗ったふたりの女性が往復する風景でした。私はそういう映像作家なのだと思います。いま進めている新作も、舞台をどこにしようか考える必要はありませんでした。土地から物語やイメージが浮かんでくるからです」
ハントはテネシー州メンフィスの出身であり、映画、音楽、文学を問わず、南部人の作家には土地に深く根ざした世界を切り開く傾向がある。『フローズン・リバー』は、南部を舞台にした映画ではないが、彼女の土地に対する特別な感覚と彼女が南部出身であることは決して無縁ではない。
「それはすごくいい指摘だと思うし、まったく同感です。たとえば、私が以前に作った短編『Althea Faught』は、南北戦争を描いたもので、舞台はミシシッピだったのですが、撮影はニューヨーク州のアップステイトで行いました。すごく風景がよく似ていて、しかもテネシーでは郊外化が進んだために、1800年代の建造物がなくなっていたということもありました。アップステイトは私の映画作りに最適のパレットでもあって、これまでの3本の映画はすべてそこで撮影しています。映画作家として自分が何者なのかを探るときに、この土地にぴたりとくるものがあるんです。
テネシーの故郷は、家を飛び出した犬がどこまで走っていっても見えるというジョークがあるくらい平坦な土地で、幅の広いミシシッピ川につながっていきます。『フローズン・リバー』のセントローレンス川も、幅などを含めてミシシッピ川とすごく似ていて、その風景が自分の感性とマッチしたのだと思います。次回作はニューヨークが舞台ですが、やはりハドソン川が登場します。どうも私のなかでは、川が大きな意味を持っているみたいなんですね。これまでの作品も、温めている企画もすべて川が出てきます。
私が温めている企画のなかには、南部を舞台にしたものもあります。ですので、いま質問されたような、より南部の生活に近い作品を撮ることになるかもしれません。テーマとしては、やはり人種差別を扱っていて、『フローズン・リバー』と似ていると思いますが、もっとダイレクトにガツンと描くつもりです」 |