コートニー・ハント・インタビュー
Interview with Courtney Hunt


2009年11月 渋谷
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■■レーガン政権以後、黙殺されたもうひとつのアメリカ■■

 アメリカでは、80年代にレーガン政権の税制改革によって経済的な格差が広がった。またレーガン政権は、先住民の保留地への補助金を大幅に削減し、先住民はギャンブル施設によって財源を確保することを余儀なくされた。この映画の冒頭では、保留地で夫を探すレイとギャンブル施設で働くライラが出会う。その出会いの背景には、80年代以後のアメリカ社会を見ることができる。この映画には、多くのアメリカ人たちが目を背けようとしてきたもうひとつのアメリカが描き出されているといえる。

「この20年間、状況は変わっていないし、むしろ悪くなっているように思います。健康保険もどうにかしなければという状況になっています。厳しい経済状況のなかで、貧しい人が苦しんでいるのに、まわりの人々はそれを恥ずべきものだと思っている。アメリカには、20代のうちに100万ドルくらい稼ぎ、映画作家なら5本くらい撮り、夢を叶えなければいけないような思い込みがあります。そういう風潮は、レーガンが原因で生まれました。その後、二度にわたって経済的な成長もありましたが、格差はより大きくなり、それにともなって貧しくなった人たちは、恥という感覚を味わうことになりました。
 それが『フローズン・リバー』を作るときに考えていたことでもあったのです。なぜ人が貧しいことを恥ずかしいと思わなければいけないのか。私の母親はシングルマザーで、お金もそんなにあったわけではなく、実は立ち退きを迫られるような状況もありました。でも母親は法律を学ぼうとしたし、向上心を持っていました。アメリカ人は、そういう努力をしている人にまったく目を向けない。人の価値はどれだけ富を持っているかで決まる。そういうものの見方が私は大嫌いなんです。
 貧しい人たちは、努力していないとか、貧しいから美徳があるはずがないとか思い込むことは、すごく悪い習慣だと思っています。車で走っていて、映画に出てくるようなトレーラーハウスを見かけても、そのなかにどんな人が暮らし、どんな状況にあるのかわかるはずもないのに、勝手な思い込みで悪いイメージで見てしまう。そんな先入観を持つべきではないというのが、この映画の社会的、政治的なレベルでのメッセージです。私たちの資産を守らなければならないはずの銀行家たちが、経済の破綻によってギャンブル中毒だったことが発覚しました。彼らはレイの夫と同じですが、どちらが本当に悪いのかは言わずもがなでしょう」

 

 


■■土地に深く根ざした世界を切り開く南部人の感性■■

 凍りついた川、空を飛んでいく鳥、そしてフェンスの映像。この映画は、そんな象徴的なオープニングから常に登場人物を取り巻く風景が印象に残る。ハントには風景に対する独特のこだわりがあるように思える。

「確かに私には土地に対する特別な感覚があります。映画のアイデアは、ほとんど土地から生まれてきます。『フローズン・リバー』の場合も、ストーリーが浮かんでから、場所をどこにするか考えるというようなことは一切ありませんでした。なぜなら、ストーリー以前に中心的なイメージがあったからです。それは、凍った川を車に乗ったふたりの女性が往復する風景でした。私はそういう映像作家なのだと思います。いま進めている新作も、舞台をどこにしようか考える必要はありませんでした。土地から物語やイメージが浮かんでくるからです」

 ハントはテネシー州メンフィスの出身であり、映画、音楽、文学を問わず、南部人の作家には土地に深く根ざした世界を切り開く傾向がある。『フローズン・リバー』は、南部を舞台にした映画ではないが、彼女の土地に対する特別な感覚と彼女が南部出身であることは決して無縁ではない。

「それはすごくいい指摘だと思うし、まったく同感です。たとえば、私が以前に作った短編『Althea Faught』は、南北戦争を描いたもので、舞台はミシシッピだったのですが、撮影はニューヨーク州のアップステイトで行いました。すごく風景がよく似ていて、しかもテネシーでは郊外化が進んだために、1800年代の建造物がなくなっていたということもありました。アップステイトは私の映画作りに最適のパレットでもあって、これまでの3本の映画はすべてそこで撮影しています。映画作家として自分が何者なのかを探るときに、この土地にぴたりとくるものがあるんです。
 テネシーの故郷は、家を飛び出した犬がどこまで走っていっても見えるというジョークがあるくらい平坦な土地で、幅の広いミシシッピ川につながっていきます。『フローズン・リバー』のセントローレンス川も、幅などを含めてミシシッピ川とすごく似ていて、その風景が自分の感性とマッチしたのだと思います。次回作はニューヨークが舞台ですが、やはりハドソン川が登場します。どうも私のなかでは、川が大きな意味を持っているみたいなんですね。これまでの作品も、温めている企画もすべて川が出てきます。
 私が温めている企画のなかには、南部を舞台にしたものもあります。ですので、いま質問されたような、より南部の生活に近い作品を撮ることになるかもしれません。テーマとしては、やはり人種差別を扱っていて、『フローズン・リバー』と似ていると思いますが、もっとダイレクトにガツンと描くつもりです」

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(upload:2010/03/06)
 
 
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