映画『Uターン』は、それぞれにしっかりとした個性を持つ新旧の俳優たちが思いもよらない演技を見せるという意味で、キャスティングが実に意外性に満ちている。しかし監督のオリヴァー・ストーンが意図しているのは決して単純な意外性ではなく、これは彼の映像スタイルの発展と深く結びついている。
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』以降のストーン作品といえば、まず何よりもドラマの流れに揺さぶりをかけるような多様なイメージの挿入と変幻自在なカメラワークが際立つ。しかしもう一方で彼は、どんなドラマに対してこの映像スタイルを使うことが効果的であるのかということにも自覚的になってきている。
たとえば『ナチュラル・ボーン・キラーズ』には、主人公となるカップルの出会いから逃避行に至るまでの悲惨なドラマが、「アイ・ラヴ・ルーシー」のような50年代のシットコム(シチュエーション・コメディ)をベースに描かれ、一般に浸透したアメリカン・ファミリーのイメージの向こう側にあるダークな現実を強調するという場面が盛り込まれていた。
この場面はあくまで単発的なアイデアにとどまっていたが、続く『ニクソン』ではそれが大きく膨らみ、ストーン独自の映像スタイルと結びついている。ニクソンに扮するアンソニー・ホプキンスは、人々の記憶にあるパブリックなニクソンを熱演するが、映像はそんなニクソンに揺さ振りをかけ、その内面的な世界に深く分け入り、もうひとつのアメリカのイメージを切り開いていくことになるからだ。
そしてこの『Uターン』では、このようなスタイルのさらなる発展を見ることができる。このドラマのベースになっているのは典型的なフィルム・ノワールの設定である。フィルム・ノワールは、それ自体が人間の内面に蠢く欲望を描きだすジャンルではあるが、この映画は、主人公ボビーがおちいる不条理な状況と独自の映像スタイルを巧みに絡ませることによって、個人の欲望というよりもその背景にある風土というものを観客の脳裏に焼き付けてしまうところが何ともすごい。
主人公ボビーは、スペリアの町でまともとは思えない住人たちに次々と遭遇する。彼が最初に出会うダレルや盲目の男は、その異様な風貌や言動ゆえにビリー・ボブ・ソーントンやジョン・ヴォイトだとは気づかないほどであり、彼らが腹の底で何を考えているのかは見当もつかない。
一方、ホアキン・フェニックスとクレア・デインズ扮するこの手の町には必ずいるどうしようもないカップルは、何も考えず衝動にまかせて行動する。さらに、『ニクソン』でウォーターゲート事件の鍵を握るヘイグ将軍をいわくありげに演じていたパワーズ・ブースが、一見まともな保安官に扮しボビーを監視している。 |