オーストラリアの大都市ブリズベンを取り巻く郊外の一角。そこには、幹線道路が走り、小奇麗なマンションや管理の行き届いた公園がある。主人公である6人の若者たちはそんな場所に建つ宅配ピザ店で働いている。彼らは、消費社会が生みだす豊かではあるが、画一的なその世界のなかで、それぞれにジレンマを抱え、孤立し、傷つき、出口を探し求める。
ベリンダ・チャイコ監督の『退屈なオリーブたち』では、そんな私たちにとっても身近な題材が、実にユニークなスタイルで掘り下げられていく。この映画に描かれるのは、6人の若者たちの一夜の物語だが、その出来事は時間が前後するかたちで巧みに組み合わされている。観客はそのパズルを組み合わせる作業を通して、ドラマのなかに引き込まれていく。
そのドラマから見えてくる人間関係は、彼らがいかに狭いコミュニティのなかを行き来しているのかを物語っている。この映画の原題である“City Loop”には環状線という意味があるが、まさに彼らは同じところをぐるぐる回るだけで、世界は閉じられている。そしてその世界のなかで、彼らがささやかな心の支えとしているのは、ドムとケイティの関係やロバートとエリンの覗き行為のように、仲間の誰かと密かに特別な時間や感情を共有しているという気持ちだ。
この心の支えは、集団と個人の微妙なバランスの上に成り立っているが、この映画のパズルはそれがどのように崩れていくのかを描きだしていく。
ドムとケイティの関係をミーシャが目撃してしまったことが発端となって、集団のなかでコンプレックスを持つミーシャはアイドルとの関係をでっち上げ、自分たちの関係を笑いの種にするドムにケイティは傷つく。ロバートはゲイであることを気取られたくないため、集団のなかではことさらエリンと親しくするが、皮肉なことにエリンはふたりの秘密である覗きによって真実を知る。
そんなふうにしてこの映画では、いつもと変わらないはずの一夜が、主人公それぞれにとって特別な一夜に変わっていく。
その特別な一夜を締めくくるのが、ドムとステイシーのカップルであることは興味深い。彼らが身勝手で性格的に破綻しているのは、内輪の関係、さらには閉塞的で現実感が希薄な世界に反発を覚えているからでもある。そんなふたりは、銃で撃たれそうになったり、川に飛び込むといった体験を経て、呪縛を解かれたように心を開き合うのだ。
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