太陽
The Sun


2005年/ロシア=イタリア=フランス=スイス/カラー/110分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:『太陽』劇場用パンフレット)

揺らぐ歴史、啓示、新たな時の文字盤

 アレクサンドル・ソクーロフの『太陽』を観ながら、筆者の頭にすぐに思い浮かんできたのは、フィリップ・K・ディックの代表作『高い城の男』だった。昭和天皇を題材にした映画に対して、いきなりSF小説などを持ち出したりすると、一体何を考えているのかと思われそうだが、筆者のなかではふたつの世界が自然に結びつき、映画が終わる頃にはこの小説のことが頭から離れなくなっていた。

 『高い城の男』には、第二次大戦の勝敗が逆転した世界が描かれている。戦後15年、世界はドイツと日本に支配され、小説の主な舞台となるサンフランシスコは、アメリカ太平洋岸連邦の一都市として日本の勢力下に置かれている。だが、このもうひとつの戦後世界は、複数の登場人物たちが入り組む物語のなかで微妙に揺らいでいく。

 巷には、謎の作家が書いた『イナゴ身重く横たわる』という小説が流布している。そこには、第二次大戦で連合国側が勝利した世界が描かれている。この小説を手にした人間は、本当に起こったことのような物語のリアリティに引き込まれ、続きを読まずにはいられなくなる。

 つまり、登場人物たちは、確固とした歴史ではなく、揺らぐ歴史のなかを生き、彼らを取り巻くものの史実性にすがりついたり、逆にそれを疑いながら、ほんの少し先の未来の選択を迫られていく。そして、『太陽』にもそんな揺らぎが確かにある。ソクーロフの『モレク神』で、ヒトラーの前にあるのは、彼の歴史の崩壊以外の何ものでもなかったが、『太陽』の昭和天皇は、揺らぐ歴史のなかに身を置いている。

 この映画には、退避壕のなかで、侍従長に導かれる天皇が袋小路にぶつかる場面があるが、この迷路のような退避壕は、彼の心象風景のようでもある。そこで道に迷い、違った扉を開けば、もうひとつの歴史に踏み込んでいるかもしれないのだ。

 では、そのような状況に追いやられた人間(あるいは現人神)は、何を思い、どんな行動をとるのか。その点でも、『太陽』と『高い城の男』は、深い結びつきを持っている。揺らぐ歴史のなかでそれぞれに孤立していく『高い城の男』の登場人物たちは、まず『易経』による占いに啓示と救いを求める。占いの結果あらわれる形、すなわち卦から世界の変化を読み、吉凶を判断しようとする。

 さらにディックは、形を通して易経にも通じるガジェットを登場させる。それは、渦巻きや螺旋など融けた金属が自然にとる形を取り入れたアクセサリーだ。日本人のエリート官僚は、それを見てこう語る。「この物体は宇宙と仲よく共存している」、「史実性を持たず、なんの芸術的、審美的価値も持たず、しかもある霊妙な価値を備えている―これは脅威です


◆スタッフ◆
 
監督/撮影   アレクサンドル・ソクーロフ
Alexander Sokurov
脚本 ユーリ・アラボフ
Yuri Arabov
編集 セルゲイ・イワノフ
Sergei Ivanov
音楽 アンドレイ・シグレ
Andrey Sigle
 
◆キャスト◆
 
昭和天皇   イッセー尾形
Issei Ogata
マッカーサー将軍 ロバート・ドーソン
Robert Dawson
皇后 桃井かおり
Kaori Momoi
侍従長 佐野史郎
Shiro Sano
研究所長 田村泰二郎
Taijiro Tamura
マッカーサー将軍の副官 ゲオルギイ・ピツケラウリ
Georgi Pitskhelauri
-
(配給: スローラーナー )
 

 そして、ドイツと日本が水面下で繰り広げる不条理な闘争に疲れ果てた日本人の高級官僚の老人は、啓示を求めてこのアクセサリーの形にひたすら見入る。つまり、揺らぐ歴史のなかで、その形から真実を読み取ろうとする。その場面には、以下のような記述がある。「最後の望みをつないで、もうひと目だけ――全身全霊をこめてそれを凝視した。子供のように、と自分に言い聞かせた。あの無邪気さと信念をまねよう。海岸で拾った貝がらを耳に当てる子供。ざわざわした音の中から海の知恵を聞きとろうとする子供

 『太陽』の天皇も、そんなふうにヘイケガニの標本に見入る。現人神は、他者と同じ土俵で語り合うことができない。御前会議では、明治天皇が詠んだ歌の解釈を通して、間接的に気持ちを表明するしかない。そんな天皇は、ヘイケガニのなかに、宇宙や真実を見る。そして、その次元から彼を取り巻く世界を俯瞰することによって、軍人たちには語りようもない現実的な言葉が堰を切ったように溢れてくる。

 そのヘイケガニは明らかに、天皇が見る悪夢にも繋がっている。そこでは、B29が巨大なトビウオのような生き物に変わり、焼夷弾の代わりに小魚を産み落とし、東京を焼き尽くしていく。この悪夢は天皇にもたらされた啓示であり、ソクーロフの生み出すイメージは、スティーヴ・エリクソンの『黒い時計の旅』さえ想起させる。エリクソン版『高い城の男』ともいえるこの小説では、現実に近い20世紀とヒトラーが生き延び、ドイツとアメリカが戦争を続ける20世紀が交差し、ヒトラーのためにポルノグラフィーを書き続ける男が、揺らぐ歴史の鍵を握る。その男は、以下のように自分の記憶をたぐる。

ひどく赤い通路を、長いあいだ落下しつづけたことを覚えている。落下しながらおれは見た。行軍する兵士たちを。炎に包まれた戦場と、陽光を浴びた黒い大砲を。ロシアの町々の裏通りでの暴動と、東方の砂漠の砂丘に立つ救世主たちを。新たな時の文字盤の上に、堕天使たちが一人また一人と這い上がってくるのを。(中略)彼らはすべてを変えにやって来た。人間がこの世界に自画像を描く行為そのものを変えに来たのだ。その行為を解体し、魂の中の新たな視点からそれを再構築するためにやって来たのだ

 ソクーロフもまた、時空を旅し、想像力が生み出す幻視によって世界を侵蝕し、20世紀の歴史を解体、再構築しているのだ。

《参照/引用文献》
『高い城の男』フィリップ・K・ディック●
浅倉久志訳(ハヤカワ文庫、1984年)
『黒い時計の旅』スティーヴ・エリクソン●
柴田元幸訳(福武書店、1990年)

(upload:2009/05/22)
 
 
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