チェチェンへ アレクサンドラの旅
Alexandra


2007年/ロシア=フランス/カラー/92分/ヨーロピアンヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:「キネマ旬報」2008年12月下旬号)

本質が歪む戦争、平和の礎となる絆

 ロシア帝国とソビエト連邦に対する長い抵抗の歴史を持つチェチェンは、ペレストロイカからソビエト連邦崩壊という急激な変化のなかで、1991年に独立を宣言した。そして、独立をめぐる対立は、第一次(1994〜1996)と第二次(1999〜現在)という二度に渡る戦争に発展する。

 このチェチェン戦争では様々な要因が絡み合い、少数民族の独立運動という本質が歪められていく。チェチェンでは19世紀末から本格的な石油採掘が始まり、ロシアとチェチェンは石油を通して経済的に密接に結びついていた。この戦争でも石油資源をめぐって駆け引きが繰り広げられ、影響を及ぼしていた。

 さらに、戦争は指導者にとって求心力を生み出す機会となる。第一次の戦争を主導したエリツィン大統領も、戦争による国民の団結を期待していたが、逆に結束を強めたチェチェンの反撃に遭い、撤退を余儀なくされた。

 しかし、プーチンは違った。テロの脅威を喧伝して国民の危機意識を煽り、強硬な姿勢で「強いロシア」を演出し、大統領選に勝利した。そして、9・11が起こると、その後の国際情勢とチェチェンをリンクさせ、この戦争の本質を「国際テロとの戦い」に塗り替えた。一方、チェチェンでも、指導者たちの間に権力争いが起こり、ワッハーブ派と呼ばれるイスラムの急進派が台頭し、戦争の本質がイスラムの聖戦に引き寄せられていく。

 チェチェンの一般住民や戦争に駆り出された兵士は、このような政治的、経済的、宗教的な要因によって本質が歪む戦争に翻弄されながら、毎日を生き、あるいは戦ってきた。ソクーロフの『チェチェンへ アレクサンドラの旅』が描き出すのは、まさにそんな住民や兵士の姿だ。チェチェンの首都グロズヌイにあるロシア軍駐屯地とその周辺で撮影されたこの映画は、フィクションではあるが、その映像からは、戦争の現実やそれに対するソクーロフ独自の視点が浮かび上がってくる。

 たとえば、駐屯地の兵士たちの表情だ。2006年に暗殺された女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの『チェチェン やめられない戦争』には、「G4」(ロシア政府から難民へのわずかばかりの配給)をめぐって、以下のような記述がある。

「G4」を載せたトラックのまわりには連邦軍の兵士たちが非常線を敷いている。自動小銃を構えて、疲れきった人びとの群れにわずかでも秩序を取り戻そうとしている。しかし、彼らも不思議な表情をしている。同情ではないが、かといって鈍感な残忍さでもない。むしろ、こんな戦争――飢えた群衆との戦い――にかかわることになってしまったことへの当惑というのか。その後、私は毎月のようにこうした光景をたくさん見ることになる。第二次チェチェン戦争に来ている兵士のほとんどが、まさにこうした顔つきをしている


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   アレクサンドル・ソクーロフ
Alexander Sokurov
撮影 アレクサンドル・ブーロフ
Alexander Burov
編集 セルゲイ・イワノフ
Sergei Ivanov
音楽 アンドレイ・シグレ
Andrey Sigle
 
◆キャスト◆
 
アレクサンドラ   ガリーナ・ヴィシネフスカヤ
Galina Vishnevskaya
デニス・カザコフ ワシーリー・シェフツォフ
Vasily Shetvtsov
マリカ ライーザ・ギチャエワ
Raisa Gichaeva
大佐 エフゲーニー・トゥカチュク
Evgeni Tkachuk
-
(配給: パンドラ+太秦 )
 

 そこには「国際テロとの戦い」とはまったく違う現実がある。この映画に登場する兵士たちもまた、そんな表情をしている。

 そして、もうひとつ印象に残るのが、アレクサンドラと孫のデニス、アレクサンドラが市場で出会うチェチェン人の女性マリカと彼女の孫の世代にあたる隣人の息子イリヤスの関係だ。アレクサンドラとデニスの間には、世代と戦争体験に起因する溝がある。一方、アレクサンドラを「姉妹」として受け入れるマリカと彼女に厳しい眼差しを向けるイリヤスの間にも同じ溝を感じとることができる。

 この四人のドラマを観ながら筆者が思い出していたのは、ミラーナ・テルローヴァの『廃墟の上でダンス』のことだ。二度の戦争をチェチェン国内で生き抜いた彼女のこの体験記には、年配者を敬うチェチェン人の習慣をめぐって、こんなエピソードが紹介されている。二度の戦争の狭間の時期のこと、ミラーナが乗ったバスに、ロシア人のおばあさんが乗ってきて、若い軍服姿の青年に、一日中働いて疲れてしまったので席を譲ってほしいと頼んだ。その青年は、自国に帰って席を譲ってもらえばいいと答えた。すると年配の女性たちが抗議を始めた。「ま、なんてことを! この人はあんたみたいな青二才よりずっと昔からこの町にいるんですよ。二十歳かそこいらで人の居場所に口出しできるとでも思ってるの? えらそうに!」。「何を言うかと思ったら…。あんたなんか、戦争中どうせお母さんのスカートのうしろに隠れてたんじゃないの? それがいまになって強がって、ご婦人を屈辱するなんて!」。チェチェンでは和平合意後に、自称レジスタンスの若者たちが大きな顔をするようになったのだという。

 この映画に登場するマリカの姿勢は、チェチェン人の習慣を表している。だが、長引く戦争のなかで成長してきたイリヤスは、チェチェン人であることに疲れ、伝統とは違うイスラムの世界観に傾斜しつつあるように見える。一方、デニスとの間にある溝を越えられないアレクサンドラは、過酷な現実から夢のような世界に引き込まれていく。

 この映画が撮影されたのは2006年のことで、その後のチェチェンは、ロシアの強大な圧力と親ロシア派の政権の下で急速な復興を遂げ、グロズヌイの中心部は戦争などなかったかのように生まれ変わっている。だが、それはまだ表面的な変化であって、戦争が終わったわけではない。ソクーロフがこの映画で追い求めているのは、本当の平和の礎となるような世代を越えた人と人の絆なのだ。


《参照/引用文献》
『チェチェン やめられない戦争』アンナ・ポリトコフスカヤ●
三浦みどり訳(NHK出版、2004年)
『廃墟の上でダンス』ミラーナ・テルローヴァ●
橘明美訳(ポプラ社、2008年)

(upload:2009/03/29)
 
 
《関連リンク》
アレクサンドル・ソクーロフ 『太陽』 レビュー ■
アレクサンドル・ソクーロフ 『ボヴァリー夫人』 レビュー ■

 
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