ロシア帝国とソビエト連邦に対する長い抵抗の歴史を持つチェチェンは、ペレストロイカからソビエト連邦崩壊という急激な変化のなかで、1991年に独立を宣言した。そして、独立をめぐる対立は、第一次(1994〜1996)と第二次(1999〜現在)という二度に渡る戦争に発展する。
このチェチェン戦争では様々な要因が絡み合い、少数民族の独立運動という本質が歪められていく。チェチェンでは19世紀末から本格的な石油採掘が始まり、ロシアとチェチェンは石油を通して経済的に密接に結びついていた。この戦争でも石油資源をめぐって駆け引きが繰り広げられ、影響を及ぼしていた。
さらに、戦争は指導者にとって求心力を生み出す機会となる。第一次の戦争を主導したエリツィン大統領も、戦争による国民の団結を期待していたが、逆に結束を強めたチェチェンの反撃に遭い、撤退を余儀なくされた。
しかし、プーチンは違った。テロの脅威を喧伝して国民の危機意識を煽り、強硬な姿勢で「強いロシア」を演出し、大統領選に勝利した。そして、9・11が起こると、その後の国際情勢とチェチェンをリンクさせ、この戦争の本質を「国際テロとの戦い」に塗り替えた。一方、チェチェンでも、指導者たちの間に権力争いが起こり、ワッハーブ派と呼ばれるイスラムの急進派が台頭し、戦争の本質がイスラムの聖戦に引き寄せられていく。
チェチェンの一般住民や戦争に駆り出された兵士は、このような政治的、経済的、宗教的な要因によって本質が歪む戦争に翻弄されながら、毎日を生き、あるいは戦ってきた。ソクーロフの『チェチェンへ アレクサンドラの旅』が描き出すのは、まさにそんな住民や兵士の姿だ。チェチェンの首都グロズヌイにあるロシア軍駐屯地とその周辺で撮影されたこの映画は、フィクションではあるが、その映像からは、戦争の現実やそれに対するソクーロフ独自の視点が浮かび上がってくる。
たとえば、駐屯地の兵士たちの表情だ。2006年に暗殺された女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの『チェチェン やめられない戦争』には、「G4」(ロシア政府から難民へのわずかばかりの配給)をめぐって、以下のような記述がある。
「「G4」を載せたトラックのまわりには連邦軍の兵士たちが非常線を敷いている。自動小銃を構えて、疲れきった人びとの群れにわずかでも秩序を取り戻そうとしている。しかし、彼らも不思議な表情をしている。同情ではないが、かといって鈍感な残忍さでもない。むしろ、こんな戦争――飢えた群衆との戦い――にかかわることになってしまったことへの当惑というのか。その後、私は毎月のようにこうした光景をたくさん見ることになる。第二次チェチェン戦争に来ている兵士のほとんどが、まさにこうした顔つきをしている」 |