ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
The Life of David Gale


2003年/アメリカ/カラー/131分/シネスコ/DTS,SRD,SDDS,SR
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(初出:『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』劇場用パンフレット、若干の加筆)

 

 

ふたつの「檻」からの解放

 

 アラン・パーカー監督の映画でまず印象に残るのは、登場人物たちを閉じ込め、自由を奪う檻のイメージである。『ミッドナイト・エクスプレス』の主人公ビリーは、イスタンブールの空港で麻薬を所持しているのを発見され、トルコの刑務所に収監され、苛酷で不条理な体験を余儀なくされる。『バーディ』では、ヴェトナムの戦場で精神錯乱に陥ったバーディが、精神病院の病室に監禁されている。『愛と哀しみの旅路』では、太平洋戦争中に敵性外国人とみなされた日系アメリカ人たちが、収容所に送られ、劣悪な環境での生活を強いられる。『ケロッグ博士』の舞台である療養所もまた、妻によって半ば強引に連れてこられたウィルなどにはやはり檻となる。

 パーカーが描くのは、そんなふうに外部にあって、目に見える檻だけではない。『ピンク・フロイド / ザ・ウォール』で、現実と妄想の狭間に出現する壁も、主人公と世界を隔てる境界である。ウィリアム・ヒョーツバーグが書いた異色のハードボイルド小説を映画化した『エンゼル・ハート』では、自分という檻の恐怖が鮮烈に浮き彫りにされる。主人公の探偵ハリー・エンゼルは、正体を隠した悪魔の依頼で失踪した男の行方を追うが、やがて探している男が自分であること知る。しかし、その真実にたどり着いたとき、彼はすでに悪魔に魅入られ、自分という檻の囚人となり、地獄に堕ちていくのだ。

 『ミシシッピー・バーニング』には、ふたつの檻を見ることができる。人種隔離政策で自由を奪われ、疎外された南部の黒人たちは、ほとんど外部にある檻に閉じ込められているに等しい。その一方でこのドラマでは、KKKの一員でもある保安官代理の妻でありながら、次第にFBI捜査官に心を開き、捜査に協力する女性の存在を通して、もうひとつの檻が描きだされる。彼女は、幼い頃から差別意識を植えつけられてきた自分という檻のなかで苦悩し、それから解放される道を選ぶのだ。

 また、冒頭で触れた外部に現実の檻が描きだされる映画も、この『ミシシッピー・バーニング』と同じように、外部の檻をめぐるドラマに終始するわけではない。『バーディ』で精神病院に監禁されているバーディは、子供の頃から自分が鳥になって自由に空を飛ぶことができると信じ、失敗を繰り返している。彼は、いわば鳥かごのなかの鳥であり、自分という檻から抜けだすことを夢見つづけているのである。『ケロッグ博士』も、療養所が檻になるだけではない。そのドラマでは、健康を求めているつもりが、いつの間にか逸脱し、それぞれに自己の欲望の虜になっている夫婦の姿が、風刺的に描きだされるのだ。

 アラン・パーカーは、外部にある檻、そして自分という檻めぐるドラマを通して、人間や社会を鋭く掘り下げていく。この独自の視点と表現は、彼がロンドン生まれのイギリス人であることと無縁ではない。海外からアメリカ映画界に進出したものの、非情なショービジネスに飲み込まれ、個性を失ってしまう監督は決して少なくない。そんななかで彼が成功を遂げてきたのは、アメリカという彼にとっては未知の世界に対して常に積極的な関心を持ち、表層的なアメリカではなく、その深層をとらえようとしてきたからだ。檻のイメージは、彼のそんな探究心から発展し、もうひとつのアメリカを描きだすための効果的な手段になっているのだ。

 アメリカの死刑制度を題材にしたこの『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』では、そんなパーカーの世界がさらに突き詰められている。この映画には、外部の檻と自分という檻があり、そのふたつの密接な結びつきが、緊張感を生みだすと同時に、ドラマを奥深いものにしている。


◆スタッフ◆

監督
アラン・パーカー
Alan Parker
脚本 チャールズ・ランドルフ
Charles Randolph
撮影 マイケル・セレシン
Michael Seresin
編集 ジェリー・ハンブリング
Gerry Hambling
音楽 アレックス・パーカー / ジェイク・パーカー
Alex Parker /Jake Parker

◆キャスト◆

デビッド・ゲイル
ケヴィン・スペイシー
Kevin Spacey
ビッツィー ケイト・ウィンスレット
Kate Winslet
コンスタンス ローラ・リニー
Laura Linney
ザック ガブリエル・マン
Gabriel Mann
ダスティ マット・クレイヴン
Matt Craven
バーリン ローナ・ミトラ
Rhona Mitra
ブラクストン レオン・リッピー
Leon Rippy
デューク ジム・ビーヴァー
Jim Beaver
バーバラ クレオ・キング
Cleo King

(配給:UIP)
 


 ブッシュ現大統領の地元であるテキサス州は、死刑執行が最も多い州で、彼の六年間の州知事時代にも150人以上の刑が執行されている。この映画の主人公デビッド・ゲイルは、テキサス大学の教授で、死刑廃止論者だったが、いまは刑務所という外部にある檻に閉じ込められている。そんな彼が、女性記者ビッツィーに語る物語からは、自分という檻に囚われ、苦悩する人間の姿が浮かび上がってくる。この映画の衝撃は、彼の物語が示唆する冤罪の可能性と結末で明らかになるもうひとつの真相のギャップから生みだされる。もうひとつの真相は、不確定的な要素に満ちているように見える彼の物語を鮮やかに裏切る。しかし、その不確定的な要素を反芻してみると、それらが実に緻密に結びつき、どれが欠けても成立しないパズルになっていることがよくわかる。

 デビッドの物語でまずポイントになるのは、彼が知事とのテレビ討論を終えた直後に、教え子であるバーリンに対するレイプ容疑で逮捕されることだ。死刑制度の是非を問うそのテレビ討論で、彼は知事から、実際に冤罪の死刑囚がいるのかと詰め寄られて、沈黙を余儀なくされる。そんな討論の直後に、彼は冤罪で逮捕されることになるのだ。そして、訴えは間もなく取り下げられ、釈放はされるものの、一度張られてしまったレイプ犯のレッテルはどこまでもついてまわる。

 彼は大学から身を引かざるを得なくなる。それでも、せめて家族の理解があれば救われたかもしれないが、妻は息子を連れて出ていってしまう。しかもさらに彼を苦しめるのは、彼らがスペインというあまりにも遠い場所に去ってしまうことだ。死刑囚デビッドの最後の食事が、一緒に暮らしていた息子が最後に彼にリクエストしたものと同じメニューであることからもわかるように、彼は息子に対して深い愛情を持っている。それなのに息子に会うどころか、電話で話をすることすら許されなくなるのである。アルコールに溺れるのも不思議ではない。コンスタンスは、そんな彼を死刑廃止運動に誘い、彼は運動に参加することでいくらかでも生きがいを見出すかにみえるが、彼女が受け入れても、組織は、レイプ犯のレッテルを張られた人間を受け入れてはくれない。

 デビッドは追い詰められる。しかし、だからといって、苦痛から逃げるようにある決断を下し、一線を越えるわけではない。知事とのテレビ討論会に臨んだとき、彼は大学教授として話をしていたが、いまは頭ではなく、身をもって冤罪の恐ろしさを思い知らされている。彼は、レッテルを張られた自分という檻のなかで、どうすることもできないのだ。

 そして、コンスタンスの秘密がその檻を補完することになる。不治の病で余命いくばくもない彼女とひとつになるということは、彼女のなかにある迫りくる死の恐怖を自分のものとして感じることをも意味する。もちろん彼女は死刑囚ではないが、その気持ちは死刑囚に通じている。冤罪によって家族や地位を奪われ、彼女を通して死の恐怖を体感するデビッドは、自分という檻のなかで、どこかに必ずいる冤罪の死刑囚と意識を共有している。そんな彼は、逃げるのではなく前向きな気持ちで決断を下す。あえて汚名を着ることで、彼は自分という檻から解放されるのだ。


(upload:2004/01/31)
 
 
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