アラン・パーカー・インタビュー

2003年 新宿
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(初出:「キネマ旬報」2003年8月上旬号)

 

 

アウトサイダーが描きだすもうひとつのアメリカ

 

 アラン・パーカーの『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』で、死刑が確定し、その執行を待つ主人公デビッドは、自分の告白を雑誌に50万ドルで売り込み、女性記者を指名し、自分に起こったことを語りだす。この映画の衝撃は、彼が語る物語から浮かび上がる冤罪の可能性と結末で明らかになるもうひとつの真実とのギャップから生まれる。

「読んでみて非常によくできた脚本だと思いました。他にもたくさん脚本を読みましたが、気に入らなかった。ありきたりなハリウッド流の作品はやりたくなかった。そのなかで、この脚本は異質だった。優れたスリラーと深いテーマの両方に引かれたのです」

 『バーディ』のフィラデルフィア、『エンゼル・ハート』のニューオリンズ、『ミシシッピー・バーニング』のミシシッピー。パーカーは、映画の舞台となる土地やその文化的、社会的な背景などを強く意識し、もうひとつのアメリカを描きだしてきた。

「まさにその通りだと思います。私が映画を作るときには、自分が知らない土地を選びます。その土地について学び、そこに暮らす人々について知りたくなるのです。だからロケハンで現地を訪れたときには、そうしたことを細かく調べ上げ、映画にどのように盛り込むかを考える。その土地の本質をとらえたい。私にとって場所はもう一人の主人公のようなものであり、とても重要なのです」

 『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』の舞台はテキサス。映画は、テキサス州の州都オースティンとその周辺で撮影されている。

「オースティンは非常に興味深い場所です。テキサスというと、まず右翼やカウボーイが思い浮かんできます。確かにそういう人たちもまだかなり残っていますが、オースティンはまったく違う雰囲気を持っている。そこには大きな大学や政府機関があり、とても洗練されている。ただそこから5マイルも行けば、まったく違う世界が広がっているのです。それから、たとえばガソリンスタンドなど、何の変哲もないものに見えても、その土地の空気というものが漂っているので、意識して映画に盛り込んでいます」

 テキサス州全般とオースティンの違いは、ドラマにも反映されている。ブッシュ現大統領の地元であるテキサス州は、死刑執行が最も多い州で、彼の6年間の州知事時代にも150人以上の刑が執行されている。この映画で、刑の執行を待つデビッドは、オースティンにあるテキサス大学の教授で、死刑廃止論者だった。大学教授デビッドは、死刑制度の是非を問うテレビ討論で、州知事から、現実に冤罪の死刑囚がいるのかと詰め寄られ、沈黙を余儀なくされる。

「私は死刑制度には反対しています。死刑が犯罪に対して抑止力を持たないというのも、理由のひとつですが、道徳的な観点から見ても、復讐のためにもうひとつの命を奪うことには賛成できません」

 


◆プロフィール
アラン・パーカー
1944年2月14日、イギリス・ロンドン生まれ。イギリスのCM業界で、コピーライターとして一世を風靡。その後、テレビのライターを経て、70年に『小さな恋のメロディ』で脚本家として映画界入りを果たす。76年、まだ子役だったジョディ・フォスターを主演にした『ダウンタウン物語』で監督デビュー。第2作の『ミッドナイト・エクスプレス』(78)では、監督賞を含む6部門でアカデミー賞にノミネート(脚色賞・作曲賞を受賞)されるとともに、英国アカデミー賞の監督賞を受賞した。その後、『フェーム』(79)、『シュート・ザ・ムーン』(81)、『ピンク・フロイド / ザ・ウォール』(82)、『エンゼル・ハート』(87)と続けて話題作を放ち、『バーディ』(84)ではカンヌ映画祭の特別審査員賞に輝いた。88年には『ミシシッピー・バーニング』で硬派な一面を見せ、監督賞を含むアカデミー賞7部門にノミネートされ(撮影賞受賞)、ベルリン映画祭でも作品賞候補に上がった。そのほか、『愛と哀しみの旅路』(90)、『ケロッグ博士』(93)、『エビータ』(96)、『アンジェラの灰』(99)を監督。音楽ものから青春もの、歴史に埋もれたページを掘り起こした作品と、ジャンルはさまざまだが、常にしっかりと人間を見つめ、深い感動を呼び起こす作品を生み出してきた。
(『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』プレスより引用)
 

 



 この映画のテキサスの世界は、女性記者ビッツィーという外部の人間の視点によってさらに際立つことになる。ニューヨークで働く彼女は、たとえば『エンゼル・ハート』の探偵ハリーがニューヨークからニューオリンズの闇に引き込まれていくのと同じように、テキサスという異世界に引き込まれていくのだ。

「『ミシシッピー・バーニング』もそうですね。ふたりの外部の人間がミシシッピーにやって来る。私はアメリカにやってきたイギリス人というアウトサイダーなので、アメリカという未知の世界に魅了されるのです。これまでアメリカの様々な場所で撮影をしてきましたが、それでもまだアメリカを理解していないという気持ちがあります。なぜなら、アメリカは各州ごとに違うし、南部はまるで別の国のようです。テキサス州などは、自分の州だけで国を作りたいのに、仕方なく合衆国に属しているようなものです。私はアメリカのこうした多様性に強く引かれる。素晴らしいだけでなく、欠点を持っていることにも非常に興味をおぼえるのです」

 海外からアメリカ映画界に進出しても、非情なショービジネスに飲み込まれてしまう監督は決して少なくないが、彼は自分の成功をどのように見ているのだろうか。

「外部の人間だからこそ、アメリカがはっきり見えるということはあると思います。確かに、ハリウッドのシステムに飲み込まれた人たちはたくさんいますし、システム自体にはとても冷酷な部分がある。お金がすべてで、芸術性などは残念ながらどうでもいいことなのです。私は自分がとてもラッキーで、夢を見ているのではないかと思ってつねってみることもありますが、自分の映画作りを守りながら生き延びてこられたのは、私がかなり意志の強い人間であり、また責任を持って映画を作ってきたからだと思います。彼らのお金を無駄にはしていない。ただ、いまではやっていくのが本当に難しくなっています」


(upload:2004/02/14)
 
 
《関連リンク》
アラン・パーカー 『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』 レビュー ■
ピーター・ガブリエル 『バーディ:サウンドトラック』 レビュー ■

 
 
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