この映画で筆者が一番気に入っているのは、ラストシーンだ。精神病院の屋上に追いつめられたバーディーが、そこから飛び降りるところは、ニューシネマの結末を連想させるが、次の瞬間に見事にその連想を裏切ってみせる。それが爽快なのだ。
この『バーディー』のサントラは、ガブリエルの作品としては、タイトルがすべて「ピーター・ガブリエル」と記されただけの4枚のソロ作品、そして、その軌跡をライブで集大成したかのような2枚組『プレイズ・ライブ』につづく作品ということになる。
プロデュースは、ガブリエルとダニエル・ラノア。ラノアは、カナダを拠点に活動するプロデューサー/エンジニアで、ブライアン・イーノとのコラボレーションはよく知られている。たとえばこのふたりがプロデュースを手がけたU2の『焔』と『ヨシュア・トゥリー』は、
U2のサウンドにひとつの転機をもたらし、その資質を新たに開花させたという意味で、彼の功績は大きい。
ガブリエルは、ロバート・フリップ、スティーブ・リリィホワイト、デイヴィッド・ローズなど1作ごとにプロデューサーを変えながら、自己の音楽性を発展させてきたが、
この『バーディー』につづくアルバム『So』で再びラノアを共同プロデューサー/エンジニア/ミュージシャンとして起用しているあたりに、このアルバムの意義を見出すことも不可能ではない。『So』でガブリエルは、自己変革の契機として、
これまでにないソウル・ミュージックの要素を大胆にひもといたが、あのアルバムを聴いていると、ガブリエルが大胆な飛躍を遂げるための踏み台になっているのが、ラノアのように思えてくる。
このサントラの参加メンバーには、ラリー・ファスト、トニー・レヴィン、ジェリー・マロッタ、デイヴィッド・ローズといったガブリエルと気心の知れあった面々に加えて、ジョン・ハッセル、ザ・ドラマーズ・オブ・エコメらが名前を連ねている。
ハッセルは、トランペットを共鳴管にして歌うオリジナルな奏法の持ち主であり、ブライアン・イーノとのコラボレーションである『第四世界の鼓動』やソロ名義の『マジック・リアリズム』などの作品で知られる。
インド、アフリカなどのエスニックな音楽と西洋音楽の境界に特異な空間を切り開く才人である。また、イーノとラノアのプロデュースでECMから『パワー・スポット』を発表してもいる。そして、ザ・ドラマーズ・オブ・エコメはガーナの打楽器奏者集団である。
サントラの内容は、全12曲のうち5曲がガブリエルの既成のオリジナルを、新たにアレンジし、再演したものである。この5曲は、聴いてもらえばわかるが、彼のソロ作品の3枚目と4枚目に収められていたものだ。
このサントラは、最初から、新曲と既成の曲を組み合わせることになっていたわけではない。ジャケットに添えられたガブリエルのコメントによれば、当初はすべて彼の既成の曲で構成されることになっていたらしい。
そのために、アラン・パーカー自身がいくつかの曲をすでにセレクトしていた。ところが製作の過程で、ガブリエルが新しい曲の必要を感じ、結局このような構成になったのだ。
このアルバムには、1982年のWOMADフェスティバル以来、着実に具体化されつつあるガブリエルのエスニック・ミュージックに対する関心もしっかりと反映されている。
自在にその質感を変え、時に揺らぎ、うねるようなエレクトロニクスの広がりと、ドラムス、パーカッションのリズムのコンビネーションをベースに、ヴォイスも含む様々なメロディを何層にも塗りこんでいくようなサウンドは、
ヴォーカル・ナンバーとはまた違った、ガブリエルの音楽的な深みを垣間見せる。アルバム前半の静から後半の動への流れも、実にドラマティックである。また、静のパートにおけるハッセル、動におけるザ・ドラマーズ・オブ・エコメの活躍も見逃せない。
練りに練られたサントラであることがよくわかる。
なかでも筆者が最も印象に残っているのは、?の<ザ・ヒート>である。この曲は映画では、アルとバーディーが、夜中に人気のない工場にもぐりこむ場面で流れたと思う。そこには確か鳩が住み着いていて、バーディーも鳥さながらに工場の高みから舞い降りようとする。
この場面には、マイケル・セラシンの陰影に富むキャメラとパーカッション・アンサンブルが乱舞するサウンドが相まって、言葉にはならない幻想的な美しさがあった。もちろんそうした場面に関係なく、音だけを聴いても十分に素晴らしい演奏ではあるのだが。
ガブリエルがこのアルバムを単なるサントラと考えていないことは、彼がこの『バーディー』につづいて手がけた映画『最後の誘惑』のサントラ『パッション』と比較してみれば、よくわかる。『バーディー』と『パッション』には、
ほとんど同じモチーフを使っていると思われる曲がある。そして、確かに同じモチーフの変奏ではあるが、『パッション』ではいっそう深みを増している。ガブリエルはサントラを手がけると同時に、その作業を通して、インストというスタイルにおける音楽性も着実に極めつつあるのだ。 |