ロバート・レッドフォードが演じる“我らの男”はタイトルが示唆するように最終的にすべてを失うが、それまでには手元に何を残すかという選択がある。彼は激しい嵐で大破したヨットから救命ボートに乗り移るときに、水没した船室に潜って、封も切られていないある箱を持ち出す。中身は六分儀で、説明書を読む姿からそれを使ったこともないことがわかる。もはや漂流状態で、無線も失っているのに、六分儀で現在地を確認してどうするというのか。
そこで思い出すのが、大海原がインド洋であることだ。ジャーナリスト、ロバート・D・カプランの著書『インド洋圏が、世界を動かす』には、以下のような記述がある。
「ジェット機が飛ぶ情報化時代の現在でも、世界の商船の九〇パーセントと、世界の石油関連物資の三分の二は、海を通っている。つまりグローバル化とは、結局のところコンテナ輸送に依存しているのであり、その世界のコンテナの半分は、インド洋を通過しているのだ。さらに言えば、中東から太平洋近隣まで広がるインド洋のリムランドでは、全世界の石油関連製品の実に七〇パーセントが通過している」
そんな海域であれば、中国製のスニーカーを積んで漂うコンテナに衝突することもあるかもしれないが、同時に航路も存在する。この男は絶望的な状況のなかで、感情を表に出すこともなく、ハンターのように救命ボートが近くの航路を横切るタイミングに備えようとする。
おそらくこの男は、これまで人の力というものを信じて人生を切り拓いてきたに違いない。そんな彼にとっては、手紙が物語るように自分の限界を知ったときがすべてを失ったときになるが、世界は人の力だけで動いているわけではない。男は本当にすべてを失うとき、なにかを悟ることになる。 |