ムーンライト
Moonlight


2016年/アメリカ/カラー/111分/スコープサイズ/5.1ch
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(初出:『ムーンライト』劇場用パンフレット)

 

 

人は誰もが矛盾を抱えながら、
自分を探している

 

 黒人映画は、その作り手がアイデンティティの複雑さというものをどれだけ深く理解しているのかによって変わる。

 たとえば、リー・ダニエルズ監督の『プレシャス』だ。彼はこの映画で、アカデミー賞の監督賞にノミネートされた数少ない黒人監督のひとりになった。その主人公は、貧困家庭で性的・肉体的な虐待を受けている肥満した16歳の少女プレシャス。彼女はレズビアンの教師と出会うことによって希望を見出していく。

 ダニエルズがこの映画の原作『プッシュ』に惹かれたのは、彼の個人的な体験と無関係ではない。黒人でゲイでもある彼は、息子が強い男になることを望んでいた父親から暴力を振るわれた。さらに彼を取り巻く黒人のコミュニティには、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が根深くはびこり、彼はいつも孤立していた。そんな体験があったからこそ彼は、虐待される少女の心情やレズビアンの教師との関係を細やかに描き出すことができた。

 『ムーンライト』を監督したバリー・ジェンキンスは、この映画でアカデミー賞の監督賞にノミネートされた。映画の原案になったのは、黒人でゲイでもあるタレル・アルバン・マクレイニーの自伝的な戯曲「In Moonlight Black Boys Look Blue」。ジェンキンス自身はゲイではないが、彼のデビュー作である『Medicine for Melancholy』(08)のことを知れば、その独自の視点や世界観が2作目の『ムーンライト』に引き継がれ、原案の戯曲と融合していることがわかるだろう。

 『Medicine for Melancholy』の舞台は、ジェンキンスが一時期、暮らしていたサンフランシスコだ。物語は、主人公である黒人の男女が、友人宅で目覚めるところから始まる。その様子から、彼らがそれぞれにパーティに参加し、酒の勢いも手伝って一夜をともにしたことがわかる。この映画では、そんなふうにして出会った男女が過ごす24時間のドラマが描き出される。

 ふたりは、自転車で街を散策したり、アパートで食事したりしながら、様々なことを語り合う。そこには、自分をどう定義するかというアイデンティティに関わる話題も盛り込まれている。男性のマイカは、周囲が自分をどう見て、どう扱うかで決まるところがあると考える。これに対して女性のジョーは、自分は自分であって、社会に左右されるものではないと考える。

 彼らの考え方ははっきりしているように見える。だが、ジェンキンスの鋭い洞察と巧みな話術は、そこに様々な矛盾があることを炙り出す。この映画では、舞台となるサンフランシスコが重要な位置を占めている。かつてそこには多くの黒人が暮らしていたが、再開発やジェントリフィケーション(高級化)によって、黒人が流出し、最も黒人が少ない大都市のひとつになった。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   バリー・ジェンキンス
Barry Jenkins
原案 タレル・アルバン・マクレイニー
Tarell Alvin McCraney
撮影 ジェームズ・ラクストン
James Laxton
編集 ナット・サンダーズ、ジョイ・マクミロン
Nat Sanders, Joi McMillon
音楽 ニコラス・ブリテル
Nicholas Britell
 
◆キャスト◆
 
リトル   アレックス・ヒバート
Alex Hibbert
ポーラ ナオミ・ハリス
Naomi Harris
フアン マハーシャラ・アリ
Maharshala Ali
テレサ ジャネール・モネイ
Janelle Monae
10代のシャロン アシュトン・サンダース
Ashton Sanders
10代のケヴィン ジャハール・ジェローム
Jharrel Jerome
シャロン/ブラック トレヴァンテ・ローズ
Trevante Rhodes
大人になったケヴィン アンドレ・ホーランド
Andre Holland
-
(配給:ファントム・フィルム)
 

 地元の人間で、狭苦しい部屋に暮らすマイカは、そんな現実を目の当たりにしてきた。一方、ジョーは変貌を遂げた豊かなエリアに暮らしている。彼女の白人の恋人が美術関係のキュレーターで、経済的に余裕があるからだ。そんな彼女は白人の世界に取り込まれ、孤独を感じているようにも見える。だが、黒人であることにこだわるジョーも一貫しているわけではない。彼はそれでもこの街を美しいと思い、嫌いになれない。音楽の趣味でも、黒人のメンバーが少ないことを不満に思いながら、インディーロックに傾倒しているのだ。

 『ムーンライト』は、このデビュー作とは設定がまったく異なるが、明らかな共通点がある。まずなによりも、自分をどう定義するかが掘り下げられている。シャロンは、いじめっ子たちが彼をどう見て、どう扱うかで周囲から決めつけられている。シャロン本人は、フアンから「オカマ」の意味を教えられて初めて自分を知り、そこから自分をどう定義し、受け入れるかをめぐる旅が始まる。

 さらに、3部構成の物語では、登場人物たちがそれぞれに抱える矛盾が重要な意味を持つ。1部のフアンは、シャロンにとって父親的な存在になっていくが、一方では彼の母親に麻薬を売り、彼を不幸な境遇に追いやってもいる。2部のケヴィンは、シャロンと親密な関係を築こうとするが、男らしさで結びついた仲間たちとの関係から脱却する勇気を持つことができない。そんな矛盾の連鎖がシャロンに影響を及ぼし、3部では彼自身が、体を鍛え上げ、麻薬ディーラーとなり、矛盾を抱える存在になっている。

 そして、デビュー作では、矛盾が炙り出されるだけで、その先は観客の想像に委ねられていたが、この映画では、ひとつの答えにたどり着く。過去に対して後悔の念を抱くケヴィンは、シャロンに電話をする。しかし、その連絡だけでは、シャロンが彼に会おうとすることはなかっただろう。シャロンの心のなかには、どこかで「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」というフアンの言葉が響いていたはずだ。

 この映画の終盤では、3部からなる物語が異なるかたちで結びつき、周囲が人間を決めつけることから生まれる矛盾の連鎖が乗り越えられることになる。

※ このテキストは劇場用パンフレットに寄稿したものですが、ニューズウィーク日本版の筆者コラム「映画の境界線」でも異なる切り口で本作を取り上げています。その記事がお読みになりたい方は以下のリンクからどうぞ。

ホモフォビア(同性愛嫌悪)とアメリカ | 『ムーンライト』

[関連情報]

ジョー・タルボット監督の『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(19)もサンフランシスコのジェントリフィケーションと黒人の立場をテーマにしているので、『Medicine for Melancholy』と比較してみると興味深い。


(upload:2017/08/16)
 
 
《関連リンク》
ジョー・タルボット
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