群盗
Kundo: Age of the Rampant


2014年/韓国/カラー/137分/スコープサイズ/
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(初出:『群盗』劇場用パンフレット)

 

 

独自の視点で現代社会を掘り下げる
異才ユン・ジョンビン

 

[ストーリー] 悪徳官僚や富豪貴族が世の中を支配し、貧しい民が搾取と弾圧に苦しめられていた朝鮮王朝末期の1862年。極貧にあえぎながら生きてきた と畜人トルムチは、剣豪武官ユンから“ある特別な仕事”を頼まれたことで、生涯忘れることのできない悲劇に見舞われてしまう。

 しかし、暴政の転覆をもくろむ智異山の盗賊団チュソルに助けられたトルムチは、ユンへの復讐のため驚くべき変貌を遂げていく。民衆を救い、理想の世を築くための反乱は、間もなく運命の開戦を迎えようとしていた――。[プレスより]

 『許されざるもの』(05)、『ビースティ・ボーイズ』(08)、『悪いやつら』(12)の異才ユン・ジョンビンの最新作です。主演は、ユン・ジョンビン作品のほか、『チェイサー』(08)、『哀しき獣』(10)などで強烈な個性を放つハ・ジョンウと、これが除隊後、4年ぶりの演技復帰作となるカン・ドンウォン。

[以下、本作のレビューになります]

 『群盗』が4作目の長編になるユン・ジョンビンは、筆者が韓国映画界で最も期待し、新作を楽しみにしている監督のひとりだ。彼は『許されざるもの』(05)で長編デビューを果たしたときから異彩を放っていた。この映画では、軍隊で兵長と新兵という立場で再会した中学時代の同級生テジョンとスンヨンが主人公になり、軍隊とその後の日常を往復するような構成によって彼らの関係の変化が浮き彫りにされていく。ユン・ジョンビンがそんなドラマを通して掘り下げてみせたのは、単に軍隊という組織の不条理ではなく、“軍事主義”だった。

 『韓国フェミニズムの潮流』では軍事主義という概念が以下のように説明されている。「集団的暴力を可能とする集団が維持され力を得るために必要な、いわゆる戦士としての男らしさ、そしてそのような男らしさを補助・補完する女らしさの社会的形成とともに、このような集団の維持・保存のための訓練と単一的位階秩序、役割分業などを自然のことと見なすようにするさまざまの制度や信念維持装置を含む概念」

 韓国では長期にわたる軍事政権の時代に軍事主義が醸成され、民主政権へと移行したあとも人々に大きな影響を及ぼしてきた。ユン・ジョンビンは『許されざるもの』で、そんな重要なテーマに切り込んだ。それまで軍隊に順応してきたテジョンは、悪しき慣行に反発するスンヨンを庇って立場を悪くした。テジョンの除隊後、新兵の面倒を見る立場になったスンヨンは自己流を貫こうとするが、新兵を庇いきれなくなり悲劇が起こる。つまり、ふたりは同じ痛みを抱えている。しかし、日常生活を送るテジョンと休暇をもらったスンヨンが再会しても、彼らの間には見えない壁が立ちはだかり、痛みを分かち合えず引き裂かれていく。この映画では、内面まで支配する軍事主義が見事に炙り出されていた。

 ユン・ジョンビンはその後の作品でも、まったく異なる角度から軍事主義を掘り下げていく。2作目の『ビースティ・ボーイズ』(08)では、ホストクラブを舞台にふたりの男のドラマが描かれる。入店3ヶ月で店のエースになったスンウは、客の女性に惹かれ、求められるままに金を貢ぐが、次第に不満がつのりだす。店の支配人格であるジェヒョンは、ギャンブルが原因で取立て屋に追われ、同棲相手や別の女性からなんとか金を引き出そうとする。彼らは最初はそれぞれの交際相手に対して下手に出ているが、自分の思い通りにならないことがわかると豹変し、容赦なく暴力を振るう。それは「戦士としての男らしさ、そしてそのような男らしさを補助・補完する女らしさ」を思い知らせようとする行為と解釈することができる。


◆スタッフ◆
 
監督/原作   ユン・ジョンビン
Yoon Jong-bin
脚本 チョン・チョルホン
Jeon Cheol-Hong
武術監督 チョン・ドゥホン、カン・ヨンモク
Jung Doo-hong
撮影 チェ・チャンミン
Choi Chan-min
編集 Kim Jae-beom, Kim Sang-beom
音楽 チョ・ヨンウク
Jo Yeong-wook
 
◆キャスト◆
 
と畜人 トルムチ/トチ   ハ・ジョンウ
Ha Jung-woo
武官 チョ・ユン カン・ドンウォン
Kang Dong-won
坊主 テンチュ イ・ギョンヨン
Lee Kyeong-yeong
頭領 デホ イ・ソンミン
Lee Sung-min
戦略士 テギ チョ・ジヌン
Jo Jin-woong
怪力 チョンボ マ・ドンソク
Ma Dong-seok
弓撃手 マヒャン ユン・ジヘ
Yun Ji-hye
瞬殺者 クムサン キム・ジェヨン
Kim Jae-young
賤民 チャン キム・ソンギュン
Kim Seong-gyoon
ユンの使用人 ヤン チョン・マンシク
新領主 ソン・ヨンギル チュ・ジンモ
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(配給:ツイン)
 

 80〜90年代の韓国を背景にした3作目の『悪いやつら』(12)では、賄賂で退職を迫られた税関職員イクヒョンが、暴力組織の若きボスで遠い親戚でもあったヒョンベに出会い、裏社会でのし上がっていく。だが、チョン・ドゥファンの後を継いだノ・テウ大統領が1990年に組織犯罪の一掃を目指す“犯罪との戦争”を宣言すると、二人の間に亀裂が生じるようになる。この映画の冒頭には、陸軍士官学校で同期だったチョン・ドゥファンとノ・テウが軍服姿で肩を並べる写真が映し出される。それは“犯罪との戦争”で対立しているように見えながら、政界も検察や警察も犯罪組織も根元には軍事主義があることを示唆している。そして、極道でも堅気でもない“ハンパ者”のイクヒョンは、そんな秩序に縛られた集団を巧みに利用することで、サバイバルしていくことになる。

 では、この新作『群盗』ではどんな世界が切り拓かれるのか。ユン・ジョンビンは『悪いやつら』の完成直後から「次はこれまでとは完全に趣の異なる娯楽映画を作る」と予告していたという。しかし、そんな言葉を真に受けて、これが痛快娯楽時代劇だと思うのは大きな間違いだ。最近の韓国時代劇といえば、『王の涙‐イ・サンの決断‐』や『観相師‐かんそうし‐』、『王になった男』などが思い出されるが、『群盗』とそれらの作品には決定的な違いがある。この映画で権力の中心にいるのは王ではないし、王の座をめぐる陰謀が描かれることもない。

 “土地の亡者”と呼ばれるようになるチョ・ユンと王の違いには重要な意味がある。ユンは最強の剣士ではあるが、庶子であるために高い官職につくことができない。そんな彼は、領主に取り入りはするが、王や悪徳官僚のようにただ公権力を笠に着て農民から搾取するわけではない。興味深いのは、ナレーションでユンと領主の結託が「史上初の官民合作事業」というように表現されることだ。しかも実際には、ユンが官を利用して農民から土地を収奪するからくりになっている。だからユンは涼しい顔で「商人の世が来てしまうとは世も末ですな」と語る。

 ここでユン・ジョンビンが意識しているのが現代社会であることは明らかだ。このからくりは、これまで国家がコントロールしてきた広範な経済領域を市場や個人に委ねる現代の新自由主義と無関係ではない。もし権力者が王であれば、物語は歴史や伝統に縛られ、現代との接点は希薄になる。しかし、富豪による権力の私物化という設定を生み出せば、ユンの手法をサブプライムローンに、ユンという存在をウォール街に見立てることも不可能ではなくなる。

 一方、と畜人トルムチのキャラクターにも注目すべき点がある。と畜人は奴婢と同じでどんな命令にも従うものだと信じていた彼は、義賊に救われ、二刀流の猛者トチへと変貌を遂げる。そんなトチの行動のなかでも特に印象に残るのが、民を虐げる官吏のまげを切り落とすことだ。ナレーションではそれが「命より髪とヒゲを重んじた朝鮮社会において、男性の象徴であるまげを切るトチの行為は、国の理念への挑戦とも言える過激なものであった」と説明される。そこには、これまでの作品で軍事主義に呪縛された個人や集団を描いてきたユン・ジョンビンならではの視点が埋め込まれている。

 『群盗』は朝鮮王朝末期を背景にしているが、そこに描き出される世界は時代劇を突き抜けている。筆者は土地の亡者ユンをウォール街にたとえたが、映画のラストに至るとユン・ジョンビンが本気でそんなことを考えていたのではないかと思えてくる。ユンに対してトチと義賊が戦いを挑むだけではなく、農民たちも立ち上がる光景は、1%のスーパーリッチに対する99%の大衆の反乱と形容されるウォール街占拠運動を連想させるからだ。

《参照/引用文献》
『韓国フェミニズムの潮流』チャン・ピルファ、クォン・インスク他●
西村裕美編訳(明石書店、2006年)

(upload:2015/09/14)
 
 
《関連リンク》
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