だからこの映画では、政治的な圧力や偏見が捜査の妨げになる。デリヘルの経営者で、日常に埋没した主人公ジュンホも、気にかけていたのは手付金であって、店の女たちのことではなかった。しかしそんな彼は、冷酷な殺人犯と遭遇し、女がまだ生きているのを知ることで、突然、個人として現実と向き合うことになる。
それが奇妙な宙吊り状態だ。状況が切迫しているため、彼は考える間もなく本能的に行動する。行動しているうちに、偏見は消え去り、政治的な圧力も及ばないほどに責任を一身に背負い、さらにこれまでの怠惰な生活のなかで失われていた感情に目覚めることにもなる。
ナ・ホンジンが目指しているのは、アクションを極めることでも、ドラマに社会性を打ち出すことでもない。彼の目的は、日常に埋没したひとりの人間が、気づかぬうちにその心の奥に埋もれた感情までさらけ出しているような状況を生み出し、根源的な痛みを炙り出すことにある。
『哀しき獣』の主人公グナムは延吉で、仕事で稼いだ金を麻雀ですり、連絡のない妻への怒りを酒で紛らす生活を送っていた。そんな彼は、右も左もわからない韓国のなかで、密入国した朝鮮族の殺し屋というレッテルを貼られ、必死の逃亡を余儀なくされる。もちろん彼には考える余裕などなく、本能的に行動し、活路を見出そうとする。
これまで延吉の社会に、そして怠惰な日常に埋没していたグナムは、突然、ひとりの朝鮮族として炙り出される。確かに彼は朝鮮族ではある。だが、汚名まで着せられてサバイバルしようとすることが、彼の内面にわだかまっていた雑念や屈折をも払拭していく。そして、深い喪失感とともに心の奥底にあった感情が溢れ出してくる。根源的な痛みを炙り出すそんなナ・ホンジン独自の話術が、この映画を忘れがたいものにするのだ。 |