ゴヤの名画と優しい泥棒
The Duke


2020年/イギリス/英語/カラー/95分/スコープサイズ/5.1ch
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(初出:)

 

 

イーリング・コメディとキッチン・シンク・リアリズム
イギリスらしさを甦らせたミッシェル監督の劇映画遺作

 

[Introduction] 世界中から年間600万人以上が来訪、2300点以上の貴重なコレクションを揃えるロンドン・ナショナル・ギャラリー。1961年、美術館の長い歴史の中で唯一にして最大の事件である 「ウェリントン公爵の肖像画盗難事件」が起こった。これは当時イギリスのメディアだけでなく、世界中のアートシーンにも驚きを与え、後に国立美術館の警備体制の見直しにまで繋がることになった。事件の犯人は、60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントン。その目的は意外なもので、事件にはもうひとつの隠された真相があった。

 60年前に起きた驚きの実話を、『ノッティングヒルの恋人』(99)のロジャー・ミッシェル監督が映画化。主人公ケンプトンを、『アイリス』(91)でアカデミー賞助演男優賞を受賞し、『ウィークエンドはパリで』(14)でもミッシェルと組んでいるジム・ブロードベント、その妻ドロシーを、『クイーン』(06)や『黄金のアデーレ 名画の帰還』(15)のヘレン・ミレン、その息子ジャッキーを、『ダンケルク』(17)の好演が記憶に新しいフィオン・ホワイトヘッド、弁護士ジェレミーを、『イミテーショ ン・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』(15)のマシュー・グードが演じる。(プレス参照)

[Story] 1961 年。イギリスが誇る世界屈指の美の殿堂から、ゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれ た。ロンドン警視庁はその巧妙な手口から、国際的なギャング集団による周到な計画による犯 行だと断定。しかし、この前代未聞の事件の犯人は、タクシー運転手のケンプトン・バントン。 長年連れ添った妻と優しい息子とイギリス北部ニューカッスルの小さなアパートで年金暮らし をするごく普通の男だった。そんな彼が警察に出した脅迫状には、「絵画を返して欲しければ、 年金受給者の BBC テレビの受信料を無料にせよ!」と書かれていた。世の中をよくしたい、そ んなバントンの強い信念が込められていた。しかし、事件にはもうひとつの隠された真相が...。 イギリス中を感動の渦に巻き込んだ“優しい嘘”とはー?

[以下、本作の短いレビューになります]

 昨年(2021)の9月に亡くなったロジャー・ミッシェル監督にとって長編劇映画の遺作となる本作は、イギリスらしいイギリス映画といえる。そのイギリスらしさをより具体的に表現すれば、”イーリング・コメディ”と”キッチン・シンク・リアリズム”の融合ということになるだろう。

 上に貼り付けたインタビューの動画でミッシェル監督は、本作の脚本に対する感想を以下のように語っている。


◆スタッフ◆
 
監督   ロジャー・ミッシェル
Roger Michell
脚本 リチャード・ビーン、クライヴ・コールマン
Richard Bean, Clive Coleman
撮影 マイク・エリー
Mike Eley
編集 クリスティーナ・ヘザーリントン
Kristina Hetherington
音楽 ジョージ・フェントン
George Fenton
 
◆キャスト◆
 
ケンプトン・バントン   ジム・ブロードベント
Jim Broadbent
ドロシー・バントン ヘレン・ミレン
Helen Mirren
ジャッキー・バントン フィオン・ホワイトヘッド
Fionn Whitehead
グロウリング夫人 アンナ・マックスウェル・マーティン
Anna Maxwell Martin
ジェレミー・ハッチンソン マシュー・グード
Matthew Goode
ケニー・バントン ジャック・バイデイラ
Jack Bandeira
イレーネ エイミー・ケリー
Aimee Kelly
-
(配給:ハピネットファントム・スタジオ)
 

「イーリング・コメディみたいだと思った。60年代初頭のファミリー映画の偉大な作品をも彷彿させた。一市民が権力に真実を突きつける。『白衣の男』なども日常の政治問題を扱っていて、市井の人が政府に要求を突きつけたりする。この作品は一連のイーリング・コメディの流れを汲んでいる。ドタバタとも茶番劇とも違う軽妙なコメディ作品で、ペーソスとドラマがあるが笑えるところもある」

 本作には、一方に、40年代末から50年代にかけてイーリング・スタジオが次々に生み出したコメディの面白さがある。ミッシェル監督は『白衣の男』(51)をあげているが、確かに2作品には通じるものがある。

 アレック・ギネス扮する研究者シドニー・”シド”・ストラットンは、汚れず摩耗もしない繊維の開発に没頭している。だが、研究費がかさむため、クビになり、繊維会社を転々とする羽目に。それでも地道な努力が実り、「究極の繊維」が完成する。彼の発明は最初は賞賛されるが、その評価ががらりと変わる。繊維業界の経営者たちは、究極の繊維が商品化されれば、汚れず摩耗もしないために商品が売れなくなり、大打撃を被ると考え、工場の労働者たちも自分たちの仕事がなくなることを恐れ、シドは厄介者として追い回されることになる。

 この映画では、周囲の態度がどう変わろうとも研究一本やりのシドがある種の道化的な存在となりながら、資本主義を風刺してみせる。本作も、ケンプトンが泥棒として、あるいは裁判における発言などである種の道化的な存在となりながら、高価な名画を購入することと孤独な年金受給者たちにBBCテレビの受信料を無料にし、娯楽を提供することをめぐって、公共の利益が問われる。

 しかしもう一方では、50年代後半から60年代初頭にかけて、イギリスの小説や演劇、映画などで発展したキッチン・シンク・リアリズムとも明らかに繋がっている。先ほど引用したミッシェル監督のインタビューのなかで、「60年代初頭のファミリー映画の偉大な作品」という言葉が指しているのは、おそらく労働者階級の家族をリアリズムで描くようなキッチン・シンク・リアリズムの作品のことだと思われる。そこで、たとえば、泥棒という要素を踏まえるなら、『廃墟の欲望(A Place to go)』(63)などが思い出される。

 主人公はロンドンの下町に両親と暮らし、たばこ工場で働く若者リッキー・フリント。労働者の惨めな生活から抜け出すことを夢見る彼は、資金を得るために、たばこ工場から商品を盗もうと計画している地元のギャングに協力するが...。この映画の見所は、リアリズムで描き出される労働者階級の生活や家族の姿だ。不安定な港湾労働の仕事に嫌気がさしたリッキーの父親がはじめるのは、フーディーニを思わせる鎖抜けの大道芸で、頑固で偏屈なイギリス人のオヤジを感じさせる。そんな父親、見守る母親、父親と息子の関係にはやはり本作に通じるものがある。『廃墟の欲望』は63年の映画で、61年に起こった事件を描く本作とは、時代背景もほぼ同じなので、家族が醸し出す雰囲気もよく似ている。

 本作は、イーリング・コメディとキッチン・シンク・リアリズムの両方の魅力を引き継いでいる。だから、軽妙でありながらリアリティがあり、独特の味わいが心に残るのだ。


(upload:2022/02/28)
 
 
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