これに対して本作では、キャンディマンが複数の顔を持ち、増殖し、その背景に人種差別の歴史や現実が色濃く反映されている。本作の主人公は、ジェントリフィケーションによって生まれ変わったカブリーニ=グリーンの高級コンドミニアムに恋人とともに引っ越してきたヴィジュアルアーティストのアンソニーだが、影の主人公といえる人物も登場する。それが、公営住宅の元住人で、今もわずかに残る長屋に暮らすバークだ。本作では、そんな対照的な立場にあるふたりの思いもよらない関係の変化を通して、キャンディマンが何者であるのかが明らかにされていく。
ヘレンのことを調べるアンソニーが初めてバークに出会ったとき、バークは、キャンディマンはシャーマン・フィールズだと説明する。その内容から、彼が話しているのが、本作の冒頭に挿入されている1977年の事件であることがわかる。ここで見逃せないのは、バークが、かつて自分が目撃した事件のことを語る前に、「白人たちは“ガールX”や“D・デイビス”には無関心だ。白人女が一人死んでも騒ぐのに」と語っていることだ。
この発言には、カブリーニ=グリーンで実際に起こった事件が盛り込まれている。1992年には、学校に向かおうとしていた7歳のダントレル・デイビスが、地元ギャングの抗争に巻き込まれて死亡し、1997年には、ガールXと呼ばれることになる9歳の少女が、性的暴行の被害に遭い、意識不明の状態で階段の踊り場で見つかった。バークは、そのふたつの事件が黒人のコミュニティ内で起こったため、白人が無関心だったのに、ヘレンが死んだら騒ぐことを批判している。そしてシャーマンも、白人少女のアメにカミソリの刃が混入していたため、警察にマークされることになった。
恋人のブリアンナのおかげでコンドミニアムに暮らし、創作に行き詰っているアンソニーは、シャーマンの事件に触発されるが、キャンディマンの伝説まで信じたわけではない。だから伝説を使って新作を発表する。その作品の前で殺人事件が起きても、戸惑いはするものの、自分の名前と作品が注目されたことを喜んでいる。白人の女性批評家の態度が変わり、彼女から評価されると、シリーズ化の構想を持ち出す。
だが、再び事件が起こり、自分が危うい立場にあることに気づいたアンソニーは、バークを訪ね、キャンディマンがシャーマンひとりではないことを知る。バークは、最初のキャンディマンであるロビタイルに言及する前に、「サミュエル・エヴァンス、50年代、シセロ人種暴動。ウィリアム・ベル、20年代、公開処刑」と語る。
この発言にも実話が盛り込まれている。サミュエル・エヴァンスという人名は架空のものと思われるが、1951年にシカゴの街シセロの白人コミュニティに黒人の一家が引っ越したとき、そこに4000人もの住人が押し寄せ、激しい暴動に発展した。1924年には、ジョージアからシカゴに移った黒人男性ウィリアム・ベルが、人種差別主義者の暴徒に襲われ、野球のバットで頭蓋骨を砕かれた。本作では、架空の人物であるロビタイルやシャーマンと、実際に起こったリンチや暴動などの人種差別の悲劇の歴史が結びつけられ、キャンディマンが継承されている。
そして、1作目とは違うそうした独自の視点を踏まえてみると、本作の冒頭とラストがより興味深く思えてくる。そこには、キャンディマンの「継承者」と「語り部」を意識した共通する図式が埋め込まれている。冒頭では、警官たちに殺害された無実のシャーマンが継承者となり、それを目撃していたバーク少年が語り部となっていく。ラストでは、無抵抗のアンソニーを警官が射殺し、ブリアンナがそれを目撃する。警官に偽証を強要された彼女は、キャンディマンを呼び出し、アンソニーが継承者となり、キャンディマンが「伝えろ、全ての者に」と告げるとき、ブリアンナが語り部になることを予感させる。
本作は、ホラー映画を装いつつ、ジェントリフィケーションによって景観が一変し、住人が入れ替わっても消し去ることができない歴史や物語の力を象徴的に描いていると見ることができる。 |