ポーランドの俊英女性監督マウゴシュカ・シュモフスカの新作『君はひとりじゃない』では、家族を亡くす喪失の痛みが、独自の視点と表現で掘り下げられていく。映画の原題“Body”が示唆するように、彼女は身体を通してそれをとらえようとする。但し、彼女が考える身体が、私たちがイメージするものと同じだとは限らない。
この映画の冒頭で描かれるエピソードには、誰もが驚きや戸惑いを覚えることだろう。警官たちが、人気のない場所で首を吊った男の死亡を確認する。ところが、その死体がむくりと起き上がり、どこかに歩き去っていく。このエピソードだけならほとんどホラーだが、物語が進むと、この監督が死体や幽霊も含めた身体に注目していることがわかるはずだ。
この映画には、喪失感に苛まれる3人の人物が登場する。まず、妻/母親を亡くしたヤヌシュとオルガの父娘だ。検察官であるヤヌシュは妻の死後、事件現場で死体を目にしてもなにも感じなくなった。だから凄惨な現場で検証を終えたすぐあとでも平然と食事をとり、体重が増えている。娘のオルガは、母親を亡くしてから肉体を嫌悪するようになり、摂食障害のために痩せ細っている。
そしてもうひとりは、オルガが入院することになる精神病院でリハビリを担当するセラピストのアンナだ。息子を亡くした彼女は、スピリチュアリズムに傾倒し、自分が死んだことに気づかずにこの世を彷徨う死者たちの姿を目にしている。さらに、喪失感に苛まれる人のために霊との交信も行っている。
そんな三者が絡み合っていくドラマを観ながら、筆者の頭に思い浮かぶのはメディアという言葉だ。今ではメディアといえばマスメディアのことを意味するが、その原型になっているのは、聖と俗、生と死を結ぶ「霊媒」だった。但し、単に映画のなかでアンナが霊媒師をやっているから、この言葉を思い浮かべたというわけではない。
シュモフスカ監督は、スピリチュアリズムで安易に話をまとめてしまうのではなく、独特のユーモアで場を一変させる。ヤヌシュとオルガの父娘には、まったく異なるかたちで身体の呪縛を解かれ、絆を感じられる瞬間が訪れる。その変化は、彼らがそれぞれに感知していた見えない妻/母親の存在と無関係ではないだろう。そこには、メディアに対するこの監督ならではの解釈を見ることができる。 |