グラスゴーから内戦状態にあるニカラグアへと舞台が変わる『カルラの歌』は、次第に緊張が高まり、カルラの過去が明らかになる後半が鮮烈な印象を残す。それだけに、これをもうひとりの主人公ジョージの立場からみると、平凡な毎日を送るバスの運転手が、
自分とはかけ離れた世界の苛酷な現実を目の当たりにする映画のように思われるかもしれない。
しかし、この映画の前半と後半の展開にはもっと複雑な結びつきがある。前半のグラスゴーのドラマには、イギリス社会の変化が、ともすれば見過ごされかねないほどさり気なく描かれ、最後にジョージがカルラの世界を見極めた後で、あらためてそのイギリス社会の変化について考えさせられるのだ。
80年代のイギリス社会を席巻したサッチャリズムは、グラスゴーやエディンバラといったスコットランドの主要都市にも波及した。それをよく物語るのが、ダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』であり、それに先立つデビュー作の『シャロウ・グレイヴ』である。この2作品にはエディンバラとグラスゴーを舞台に、
イギリス社会の変化がブラックなユーモアも交えて浮き彫りにされている。
『トレインスポッティング』は、音楽に新しいブリット・ポップが使われていることもあり、現在進行形の物語のように思われるかもしれない。しかし、アーヴィン・ウェルシュの原作は、厳密には80年代後半の時代を背景にしている。また、『シャロウ・グレイヴ』と『トレインスポッティング』の脚本を手がけたジョン・ホッジは、
もともとグラスゴーの出身で、エディンバラで82年から87年にかけて医学の勉強をし、病院の勤務を経て、脚本を書き出した。グラスゴーを舞台にした『シャロウ・グレイヴ』では、主人公のひとり、ジュリエットが女医という設定になっているが、彼女やこのドラマには、その当時の体験が反映されていると見てよいだろう。
ボイルとケン・ローチは、社会の見方も表現のスタイルもまったく違うので、彼らの作品は一見、まったく異質な世界を描いているように見える。しかしよくよく見れば、多くの接点を持っているのだ。特に『トレインスポッティング』と『カルラの歌』は対比してみると興味深い。奇しくもこの2本の映画には、
どちらにもロバート・カーライルが出演しているのだが、ドラマのなかの彼の立場も含めて面白い接点が見えてくる。
『トレインスポッティング』のドラマには、サッチャリズムの副産物ともいえるドラッグが、労働者階級のあいだに広がっていく状況が反映されている。主人公のレントンはドラッグにどっぷりと漬かっているが、仲間のひとりで、カーライル扮するベグビーは、酒を飲んで暴れることはあっても、ドラッグには手を出さない。
つまり彼は昔ながらの労働者の価値観を引きずっている。この映画では、レントンがそんなベグビーを裏切って、ドラッグの金を一人占めし、未来を選ぶところに、時代が象徴されている。旧来の労働者たちのコミュニティやその絆は崩壊しつつあるのだ。
『カルラの歌』のグラスゴーにも、別なかたちで社会の変化が描かれる。その変化こそが、カーライル扮するジョージをカルラに近づけるきっかけになるともいえる。そのきっかけとは、無賃乗車やちょっとした騒ぎだけで、相手の言葉に耳を貸そうともせずに即座に警察に突き出そうとしたり、追い立てようとするバスの車掌やたこ部屋の管理人であり、
冷たい社会だ。ジョージは労働者であることに特別な意識を持っているわけではないが、しかしコミュニティが崩壊しつつあることに何かいたたまれないものを感じ、カルラに引き寄せられていく。 |