カルラの歌
Carla's Song  Carla's Song
(1996) on IMDb


1996年/イギリス/カラー/126分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:「カルラの歌」劇場用パンフレット、加筆)

 

 

サッチャリズムと内戦

 

 グラスゴーから内戦状態にあるニカラグアへと舞台が変わる『カルラの歌』は、次第に緊張が高まり、カルラの過去が明らかになる後半が鮮烈な印象を残す。それだけに、これをもうひとりの主人公ジョージの立場からみると、平凡な毎日を送るバスの運転手が、 自分とはかけ離れた世界の苛酷な現実を目の当たりにする映画のように思われるかもしれない。

 しかし、この映画の前半と後半の展開にはもっと複雑な結びつきがある。前半のグラスゴーのドラマには、イギリス社会の変化が、ともすれば見過ごされかねないほどさり気なく描かれ、最後にジョージがカルラの世界を見極めた後で、あらためてそのイギリス社会の変化について考えさせられるのだ。

 80年代のイギリス社会を席巻したサッチャリズムは、グラスゴーやエディンバラといったスコットランドの主要都市にも波及した。それをよく物語るのが、ダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』であり、それに先立つデビュー作の『シャロウ・グレイヴ』である。この2作品にはエディンバラとグラスゴーを舞台に、 イギリス社会の変化がブラックなユーモアも交えて浮き彫りにされている。

 『トレインスポッティング』は、音楽に新しいブリット・ポップが使われていることもあり、現在進行形の物語のように思われるかもしれない。しかし、アーヴィン・ウェルシュの原作は、厳密には80年代後半の時代を背景にしている。また、『シャロウ・グレイヴ』と『トレインスポッティング』の脚本を手がけたジョン・ホッジは、 もともとグラスゴーの出身で、エディンバラで82年から87年にかけて医学の勉強をし、病院の勤務を経て、脚本を書き出した。グラスゴーを舞台にした『シャロウ・グレイヴ』では、主人公のひとり、ジュリエットが女医という設定になっているが、彼女やこのドラマには、その当時の体験が反映されていると見てよいだろう。

 ボイルとケン・ローチは、社会の見方も表現のスタイルもまったく違うので、彼らの作品は一見、まったく異質な世界を描いているように見える。しかしよくよく見れば、多くの接点を持っているのだ。特に『トレインスポッティング』と『カルラの歌』は対比してみると興味深い。奇しくもこの2本の映画には、 どちらにもロバート・カーライルが出演しているのだが、ドラマのなかの彼の立場も含めて面白い接点が見えてくる。

 『トレインスポッティング』のドラマには、サッチャリズムの副産物ともいえるドラッグが、労働者階級のあいだに広がっていく状況が反映されている。主人公のレントンはドラッグにどっぷりと漬かっているが、仲間のひとりで、カーライル扮するベグビーは、酒を飲んで暴れることはあっても、ドラッグには手を出さない。 つまり彼は昔ながらの労働者の価値観を引きずっている。この映画では、レントンがそんなベグビーを裏切って、ドラッグの金を一人占めし、未来を選ぶところに、時代が象徴されている。旧来の労働者たちのコミュニティやその絆は崩壊しつつあるのだ。

 『カルラの歌』のグラスゴーにも、別なかたちで社会の変化が描かれる。その変化こそが、カーライル扮するジョージをカルラに近づけるきっかけになるともいえる。そのきっかけとは、無賃乗車やちょっとした騒ぎだけで、相手の言葉に耳を貸そうともせずに即座に警察に突き出そうとしたり、追い立てようとするバスの車掌やたこ部屋の管理人であり、 冷たい社会だ。ジョージは労働者であることに特別な意識を持っているわけではないが、しかしコミュニティが崩壊しつつあることに何かいたたまれないものを感じ、カルラに引き寄せられていく。


◆スタッフ◆

監督
ケン・ローチ
Ken Loach
製作 サリー・ヒビン
Sally Hibbin
共同製作 アルリック・フェルズバーグ/ジェラード・エアレロー
Ulrich Felsberg/Geraldo Herrero
脚本 ポール・ラヴァティ
Paul Laverty
音楽 ジョージ・フェントン
George Fenton
撮影 バリー・エイクロイド
Barry Ackroyd
編集 ジョナサン・モリス
Jonathan Morris

◆キャスト◆

ジョージ
ロバート・カーライル
Robert Carlyle
カルラ オヤンカ・カベサス
Oyanka Cabezas
ブラッドレー スコット・グレン
Scott Glenn
ラファエル サルヴァドール・エスピノーサ
Salvador Espinoza
マリーン ルイーズ・グッドール
Louise Goodall
アントニオ リチャード・ローサ
Richard Loza
サミー ゲイリー・ルイス
Gary Lewis
アイリーン パメラ・ターナー
Pamela Turner
(配給:エース・ピクチャーズ)
 


 この映画には、ジョージが2階建てバスを私物化して、カルラをスコットランドの森と湖の世界に連れだす場面がある。この場面は、『トレインスポッティング』で、トミーを先頭に仲間たちが山野を散策する場面と対比してみると、共通する風景を背景として、対照的なドラマが見えてくる。『トレインスポッティング』ではレントンが、 風土にアイデンティティを求めようとするトミーに苛立ちを隠せなくなり、最終的に裏切りへと繋がっていく。一方ジョージは、祖国の土地というものに深い愛着を持つカルラに惹かれ、彼女を自分が安らぐことのできる場所に誘い、ふたりはそこでお互いに心を開いていく。

 『カルラの歌』は、反革命勢力によって裏切られ、深く傷つけられたカルラに対して、ジョージが救いの手をさしのべる物語のように見えるが、決してそうではない。実はジョージもまたイギリス社会に裏切られているのだ。80年代、サッチャーとレーガンは太いパイプで結ばれていた。そのレーガン政権がニカラグアにおける反革命ゲリラ、 コントラを支援し、サンディニスタ革命政権を潰そうとすることと、サッチャーが金持ちを優遇し、弱者を切り捨てることには、本質的に違いはない。

 この映画は、グラスゴーの社会と内戦状態にあるニカラグアを結びつけることによって、そこにある現実が実は同じであることを語っている。だからこそ、ニカラグアを体験し、祖国に戻るジョージの姿には、 カルラに通じる深い喪失感や焦燥感が見られる。ジョージはカルラを通して、自分が生きる世界を見直しているのだ。


(upload:2001/01/21)
 

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