イロイロ ぬくもりの記憶
ILO ILO (英題)  Ilo Ilo
(2013) on IMDb


2013年/シンガポール/北京語・英語・タガログ語/カラー/99分/ヴィスタ/デジタル
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(初出:月刊「宝島」2015年1月号、若干の加筆)

 

 

中間層に属する家族とフィリピン人メイドのドラマを通して
政府主導で経済発展を遂げたシンガポール社会と個人の姿を浮き彫りにする

 

[ストーリー] 1997年のシンガポール。共働きで多忙な両親を持つ一人っ子のジャールーは、わがままな振る舞いが多く、小学校でも問題ばかり起こして周囲の人々を困らせていた。手を焼いた母親の決断で、フィリピン人メイドのテレサが住み込みで家にやって来る。

 突然の部外者に、なかなか心を開かないジャールーだったが、仕送り先にいる息子への想いを抑えつつ必死で働くテレサに、いつしか自分の抱える孤独と同じものを感じて心を開いていく。だが、そんな折、父親がアジア通貨危機による不況で会社をリストラされてしまう。また、メイドに打ち解けた息子に安心していたはずの母親の心にも、嫉妬にも似た感情が芽生えはじめる――。[プレスより]

 弱冠30歳(1984年生まれ)の新鋭アンソニー・チェンの長編デビュー作『イロイロ ぬくもりの記憶』では、97年のシンガポールを舞台に、中間層に属する一家と出稼ぎに来たメイドとの関係を通して、社会と個人が鮮やかに浮き彫りにされていく。カンヌ国際映画祭カメラドールなど、様々な映画賞に輝いているのも頷ける。

 物語の土台になっているのは監督の少年時代だが、それが巧みな構成と鋭い洞察によって社会と結びつけられている。ここで、80年代から90年代にかけてのシンガポール社会を振り返っておいても無駄ではないだろう。シンガポールはもともと国民に就業機会を提供するための労働集約型産業を振興してきたが、経済発展を遂げた80年代には労働力不足が深刻になった。その結果、夫婦共働きが増加し、さらに87年には政府が外国人メイドの雇用を認めた。

 そうした変化を踏まえ、ここではふたつのことを確認しておきたい。ひとつは外国人のメイドが置かれた労働環境だ。岩崎育夫の『物語 シンガポールの歴史』では、メイドを含む未熟練労働者のカテゴリー=「ワーク・パーミット(労働許可書)」について以下のように説明されている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   アンソニー・チェン
Anthony Chen
撮影 ブノワ・ソレール
Benoit Soler
編集 ホーピング・チェン
Hoping Chen
 
◆キャスト◆
 
ジャールー   コー・ジャールー
Koh Jia Ler
テレサ(テリー) アンジェリ・バヤニ
Angeli Bayani
ジャールーの母 ヤオ・ヤンヤン
Yeo Yann Yann
ジャールーの父 チェン・ティエンウェン
Chen Tian Wen
-
(配給:Playtime)
 

「これは二年間の就業ビザで(更新可能)、雇用主は一人五〇〇〇シンガポールドルの保証金を政府に収め(帰国時に返還)、家族同伴は認められない。メイドは半年ごとに妊娠検査を義務付けられ、妊娠すると強制送還される。また、シンガポール人と結婚を望んだ場合、労働省の許可を必要とする。政府が、このタイプの外国人労働者を厳しく管理しようとしたのは、彼らの定住によってシンガポールの知的水準が低下することを懸念したからである」

 もうひとつは、シンガポールの中間層の性格だ。同書ではアジア13ヶ国を対象としたアンケートを資料として、以下のように説明されている。「このアンケートが語るように、シンガポールの中間層は、現状維持を志向する保守的性格が強い人が多数派を占め、彼らは、人民行動党の統治が権威主義的で厳しくても、この政府があってこそ自分たちの現在の豊かな性格があると受け止めていたのである」

 この映画に登場する夫婦も共働きで、わがままな一人息子ジャールーに手を焼き、フィリピン人のテレサを雇う。夫婦は政府主導の発展の恩恵に浴し、豊かさを求めて迷いなく生きている。だが、そこにアジア通貨危機という逆風が吹き、意識が変化していく。

 不況でリストラされ、株で大損したことを家族に打ち明けられない父親は、厳しい規制や管理のもとで働くテレサに親近感を覚える。孤独なジャールーは、息子と離れて異国で働かなければならないテレサの心情を察し、心を開くようになる。一方、仕事に追われ、メイドに息子を奪われたような疎外感に苛まれる母親は、希望を謳う自己啓発セミナーに引き寄せられていく。

 さらに、ドラマに盛り込まれた独特のユーモアも見逃せない。失業した父親は苛立ちを抑えられずに、息子が熱中するたまごっちを車から投げ捨ててしまい、その代わりに息子の誕生日に数羽のひよこを贈る。そして、ひよこの成長とともに、家族も血の通った関係に目覚めていくことになる。

《参照/引用文献》
『物語 シンガポールの歴史』岩崎育夫●
(中公新書、2013年)

(upload:2015/01/15)
 
 
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