フォックスキャッチャー
Foxcatcher


2014年/アメリカ/カラー/135分/アメリカン・ヴィスタ/5.1ch
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(初出:「CDジャーナル」2015年2月号、加筆)

 

 

自分を取り戻すために、深い執着に
突き動かされていく人間の悲劇

 

[ストーリー] なぜ大財閥の御曹司は、オリンピックの金メダリストを殺したのか

 この世にも奇妙な実話は、1984年のロサンゼルス・オリンピックで金メダルに輝いたレスリング選手、マーク・シュルツに届いた突然のオファーから始まる。有名な大財閥デュポン家の御曹司ジョン・デュポンが、自ら率いるレスリング・チーム“フォックスキャッチャー”にマークを誘い、ソウル・オリンピックでの世界制覇をめざそうと持ちかけてきたのだ。

 その夢のような話に飛びついたマークは破格の年俸で契約を結び、デュポンがペンシルベニア州の広大な所有地に建造した最先端の施設でトレーニングを開始する。しかしデュポンの度重なる突飛な言動、マークの精神的な混乱がエスカレートするにつれ、ふたりの主従関係はじわじわと崩壊。ついにはマークの兄で、同じく金メダリストのデイヴを巻き込み、取り返しのつかない悲劇へと突き進んでいくのだった。[プレスより]

 ベネット・ミラー監督の新作『フォックスキャッチャー』の奥深い世界を堪能するためには、彼の長編デビュー作であるドキュメンタリー『クルーズ(原題)』(98)と斬新なスタイルの出発点ともいえる『カポーティ』(05)を振り返っておくべきだろう。この2本の映画と新作には興味深い接点がある。

 ミラー監督は、深い執着に突き動かされる人間を描き出してきた。ドキュメンタリー『クルーズ(原題)』に登場するのは、90年代にニューヨークで人気を集めたツアーバスのガイド、ティモシー・“スピード”・レヴィッチだ。彼はニューヨークに関する膨大な知識を持ち、歴史や文学、映画など多岐にわたる話題を早口でまくしたて、バスの乗客を単なる観光を超えた世界に引き込む。

 しかし、ミラーが関心を持っているのは、レヴィッチの知識や話術ではなく、ニューヨークという都市に対する普通ではない執着だ。その背景には、機能不全に陥ったユダヤ系の中流家庭の問題があることが示唆されるが、ミラーはその原因を探ろうとはしない。そのかわりに、ひたすらニューヨークにのめり込み、一体になることで、自分を取り戻そうとする人間の姿を浮き彫りにする。

 最初の劇映画になる『カポーティ』では、実話を題材に、深い執着に突き動かされる人間を描く独自のスタイルが確立される。この映画に描き出されるのは、殺人犯ペリー・スミスと彼を題材に傑作『冷血』を書く作家トルーマン・カポーティの関係だ。カポーティは、そのスミスとの間に築かれる信頼関係とひとつ間違えば裏切りにもなりかねない作家としての野心によって引き裂かれていく。

 その苦痛をカポーティ自身はこのように語っている。「『冷血』がぼくからどれだけのものを奪ったかだれもわからないだろう」。「骨の髄までぼくを削り取ったんだ。ぼくを殺しかねなかった。ある意味では、殺したも同然だと思う。その作品にかかる前は、比較の問題だが、ぼくは安定した人間だった。そのあと何かが起こった。どうしても本が忘れられない、とくに最後の絞首刑が。ああ、身の毛がよだつ」


◆スタッフ◆
 
監督/製作   ベネット・ミラー
Bennett Miller
脚本 E・マックス・フライ、ダン・ファターマン
E. Max Frye, Dan Futterman
撮影監督 グレッグ・フレイザー
Greig Fraser
編集 スチュアート・レヴィ、コナー・オニール、ジェイ・キャシディ
Stuart Levy, Conor O’Neill, Stuart Levy
音楽 ロブ・シモンセン
Rob Simonsen
 
◆キャスト◆
 
ジョン・デュポン   スティーヴ・カレル
Steve Carell
マーク・シュルツ チャニング・テイタム
Channing Tatum
デイヴ・シュルツ マーク・ラファロ
Mark Ruffalo
ジャン・デュポン ヴァネッサ・レッドグレイヴ
Vanessa Redgrave
ナンシー・シュツル シエナ・ミラー
Sienna Miller
ジャック アンソニー・マイケル・ホール
Anthony Michael Hall
ヘンリー・ベック ガイ・ボイド
Guy Boyd
ドキュメンタリー制作者 デイヴ・“ドック”・ベネット
Dave “Doc” Bennett
-
(配給:ロングライド)
 

 ミラーは、お互いの精神が絡み合い、消耗し尽くすような関係に強い関心を持っている。だが、決してそれを劇的に描こうとはしない。ストーリーや台詞に頼らず、観察するように距離を置き、人物同士の複雑な関係を緊張に満ちた場の空気から感じとらせようとする。

 そんなミラーが新作の題材に選んだのは、96年に大財閥の御曹司がレスリングの金メダリストを射殺した事件であり、彼の関心が明確に反映された人間関係が、さらに研ぎ澄まされたスタイルで描き出されている。物語は、御曹司ジョン・デュポンと、ともに金メダリストのデイヴとマークのシュルツ兄弟を軸に展開していく。

 まずデュポンが、弟のマークを破格の条件で自身が率いるレスリング・チーム“フォックスキャッチャー”に誘う。ソウル五輪で頂点を目指すためだ。これまでずっと兄に精神的に依存してきたマークは、それを自立の機会ととらえ、デュポンが広大な敷地に建造した施設でトレーニグを開始する。だがやがて、彼はデュポンの奇行や突飛な言動に翻弄され、衰弱していく。さらにそこに、デュポンの誘いを固辞してきたデイヴも加入することになり、複雑な感情のせめぎ合いのなかで歯車が狂っていく。

 この映画を観た人は、先に引用したカポーティの言葉が示唆する苦痛がこのドラマにも当てはまることがわかるだろう。信頼関係で結ばれるはずだった三者の間で、精神的な次元で相手を骨の髄まで削りとり、追いつめるようなせめぎ合いが繰り広げられる。

 さらに、『クルーズ(原題)』のアプローチも引き継がれている。デュポンの奇行には、大財閥の御曹司という重荷や冷酷な母親の支配の影響を想像することはできるが、ミラーはあえて原因を明らかにしようとはしない。そのかわりに、深い執着に突き動かされるデュポンの存在や行動を冷徹に描き出していく。彼は鉄道模型や鳥類学、銃器などに次々とのめり込み、挫折を繰り返し、レスリングが自分を取り戻すための最後の砦になる。おそらく彼は特権階級の殻を破って自分の世界を切り拓き、英雄になることを望んでいるが、どうしてもデイヴのような本物の英雄にはなれないのだ。

《参照/引用文献》
『カポーティ』ジェラルド・クラーク●
中野圭二訳(文藝春秋、1999年)

(upload:2015/02/26)
 
 
《関連リンク》
『フォックスキャッチャー』公式サイト
ベネット・ミラー 『マネーボール』 レビュー ■
ベネット・ミラー 『カポーティ』 レビュー ■
ベネット・ミラー 『クルーズ(原題)』 レビュー ■
トルーマン・カポーティ――鏡の魔力とナルシスの誠実さ ■

 
 
 
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