もちろん、それだけでもこの映画は見飽きない。しかし、監督のミラーが関心を持っているのは、必ずしもレヴィッチの膨大な知識やユニークな話術ではない。彼がとらえようとしているのは、ニューヨークという都市に対するレヴィッチの深い執着だ。なぜ彼はそこまでのめり込むのか。レヴィッチ自身の発言のなかにその手がかりがある。ユダヤ系の中流家庭出身の彼は、ブロンクスのリバーデールで育ったが、その後一家は郊外に転居し、やがて彼だけが都市に戻ってくる。孫の物質的な成功を望んでいた祖父母は、彼に対する落胆を隠さなかった。
だが、ミラーは手がかりが見えても、あえてそれを掘り下げようとはしない。背景には、おそらく機能不全に陥った家族や閉鎖的な郊外生活があり、レヴィッチは収監されたこともあるようだが、具体的なことは明らかにされない。ミラーにとって重要なのは、背景や事情ではなく、結果として深い執着を持つようになった人間の存在や行動そのものだといえる。
レヴィッチは、自分と都市の関係を独特の感覚で表現する。路上にきれいな花が咲いていれば、自分自身が花になって、花から世界を見る。ブルックリン・ブリッジから飛び降りて生還した11人の人々と一緒にクルーズすることを夢見る。ワールド・トレード・センターの間のスペースで身体をぐるぐる回し、方向感覚がなくなったら上を見て、ツインタワーが自分に向かって倒れてくるような幻想を楽しむ(これは映画の最後で本人が実演してみせる)。レヴィッチにとっては、ニューヨークと一体になることが、自分を取り戻すことであり、そこに自分として生きる喜びがあるのだ。
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