北欧映画のなかには、合理主義という要素を物語に盛り込み、独特のユーモアで人間を掘り下げる作品がある。たとえば、ベント・ハーメル監督の『キッチン・ストーリー』だ。
50年代のノルウェーの田舎町を舞台にしたこの映画では、一人暮らしの老人のもとにスウェーデンの「家庭研究所」から調査員が派遣され、独身男性の台所における行動パターンの観察を始める。その調査では会話や交流が禁じられ、データは生活の合理化のために利用される。だが、人間は合理的に生きているわけではなく、ふたりは規則を破り、そこから人間らしさが浮かび上がってくる。
アイスランドの新鋭グリームル・ハゥコーナルソン監督の『ひつじ村の兄弟』にも、そんな北欧映画の視点とユーモアがある。
舞台は、羊の数が人口の4倍にもなるアイスランドを象徴するような牧羊の村。老兄弟のグミーとキディーは、先祖代々受け継がれてきた優良種の羊の飼育に生活のすべてを捧げている。彼らは目と鼻の先に暮らしながら昔から不仲で、40年間も口をきいていない。ところが、キディーの羊が疫病に侵され、保健所が一帯の羊を殺処分する決定を下す。それは当然といえる合理的な処置ではあるが、頑固な老人たちがおいそれと従うはずもない。
この兄弟が相手にどうしてもなにかを伝えなければならないときには、牧羊犬がメッセージを運ぶ。グミーが、雪に覆われた屋外で酔い潰れているキディーを見つけたときには、もう慣れっこになっているのか、迷うことなくショベルカーで彼をすくい上げ、ある場所に運ぶ。兄弟の溝はそんなドライなユーモアで表現されるが、決して滑稽なだけではない。
見逃せないのは、人間と動物の関係だ。兄弟が飼育するのは、先祖から受け継がれてきた羊だが、その羊との関係は歪んでいるように見える。この映画は、羊の品評会の場面から始まり、兄弟がライバル意識をむき出しにして優勝を争ってきたことがわかる。ともに一人暮らしで、後継者もいない彼らは、羊を愛しながらもエゴに囚われ、健全な関係を見失いかけている。 |