「春にして君を想う」や「コールド・フィーバー」で、アイスランドの美しく苛酷な自然と日常に息づく神話的な土壌を背景に、人間の生と死を見つめる監督フリドリック・トール・フリドリクソン。彼はアイスランド映画の頼もしい牽引車となっている。
そんな彼の94年の監督作「ムービー・デイズ」は、60年代初頭という時代を生きる10歳の少年トマスに、54年生まれのフリドリクソンの体験が反映された自伝的作品である。ウディ・アレンの「ラジオ・デイズ」をもじった題名からもわかるように、
当時は映画を観にいくのがまだ人々にとって特別な出来事だった時代だ。フリドリクソンはこの映画で、そんな時代と、見るもの聞くものすべてが刺激や驚きに満ちていたトマスの少年期を巧みに結びつけている。
都会に暮らすトマス少年は、西部劇のヒーローとともに歌い、母親がハリウッド女優だと言って自慢する親戚の姿をスクリーンの向こうに見出し、共産主義者が開いたソ連映画の上映会の最中には、まるで映画のようなロシア人のスパイ活動を覗き見てしまう。
さらに、テレビに映る戦争映画に興奮し、サッカーに熱中し、酒の味をおぼえ、駐留軍兵士と娼婦のセックスを覗き、縄張り争いの喧嘩をし、楽しみは尽きない。そんなエピソードの数々は、ノスタルジックで笑いを誘うユーモアに満ちているが、決してただそれだけではない。
このような少年時代を経たフリドリクソンは後に、まだまともに映画製作すら行われていなかったアイスランドで、自ら先頭に立って映画製作の環境を作り、映画界をリードしていく。ここにはそんな彼の感性の原点を見ることができる。この映画には、ノスタルジーとともに、
もっと冷静に当時を振り返る視点がある。
トマス少年は、テレビを買おうとしない父親が共産主義者なのかと思ったり、自分たちはアメリカ人になれるのではないかという憧れを抱いたりするが、そこには冷戦という状況下でせめぎあうイデオロギーやプロパガンダが暗示されている。
そんな状況が皮肉にも彼の日常を刺激的なものにしているのだ。しかし彼は、夏休みに父親の兄が営む農場に送られることによって、まったく別な世界を発見していく。
伯父のトニは、北欧神話に出てくる巨人トロールの物語をトマスに語って聞かせる。映画やテレビにどっぷりつかっている少年には、昔話は退屈きわまりないが、農場生活のなかで悪魔の存在を目の当たりにし、彼の世界観は変化していく。そして農場で父親の訃報を耳にした晩、
彼は初めてトニと同じように悪魔に眠りを妨げられる。
それは彼がアイスランド人としての自己に目覚める通過儀礼のようなものだ。彼は、故郷の大地のもとで厳かに行われる葬儀を通して、死を受け入れていく。もしこの農場での体験がなければ、彼にとって死の意味はまったく違ったものになっていたはずだ。 |