バグダッドに生まれ、ヨーロッパで映画・テレビの制作を学んだモハメド・アルダラジー監督は、2003年のフセイン政権崩壊後、イラクに帰国し、祖国の現実を反映した作品を撮りだした。『バビロンの陽光』は、2作目の監督作になる。
フセイン政権崩壊から三週間後、イラク北部のクルド人地区に暮らす祖母は、戦地から戻らない息子イブラヒムを探すため、12歳の孫アーメッドと南に向かう。イブラヒムは1991年の湾岸戦争で戦場に送られた。だからアーメッドは父親の顔も知らない。
ふたりが南に向かうのは、戦争でイブラヒムに命を助けられた友人が祖母に宛てた手紙に、彼が南部のナシリア刑務所に収容されていると書かれていたからだ。しかし、戦争からすでに10年以上が過ぎている。
フセイン独裁の終わりは、女性や子供が、長期に渡る弾圧の犠牲になった息子や夫や父親を探す旅の始まりになる。荒廃したイラクの大地にはおびただしい数の遺体が埋められている。祖母と孫は、まるで死者の世界を彷徨っているかのように見える。
イラクでは、過去40年間で150万人以上が行方不明となり、300の集団墓地から何十万もの身元不明遺体が発見されているという。厳しい弾圧はサダム・フセインの時代以前から存在していた。
イブラヒムを探す祖母とアーメッドは、そんな40年という時間と向き合うといってもいい。しかし、彼らの旅から見えてくるものが、イラクという国だけの悲劇だと思うのは大きな間違いだ。40年の悲劇は世界と深く関わっている。
たとえば、アンドリュー&パトリック・コバーンの『灰の中から―サダム・フセインのイラク』には、その関係が簡潔にまとめられている。
「非アラブ・スンニ派であるイラクのクルド人は、自分たちを独立共同体とみなしており、イギリス統治時代から、バグダッドの支配に対しては反発を 抱いてきた。一九七〇年代の初め、クルド人たちは、アメリカとイランのシャーの後押しを受けて激しい反乱を起こしたが、味方の諸外国に裏切られて敗北し た。一九八〇年代の対イラン戦争の間、数名の指導者が再び暴動を起こしたが、サダムは大量虐殺作戦を発動、民間クルド人に毒ガスを浴びせ、二十万人近くの 命を奪った。このホロコーストに加えて、イラクの指導者は四千ヶ所ものクルドの村落を地図上から抹消し、住民たちを都市と難民キャンプに強制移住させ、秘 密警察の永久監視下に置いた」
70年代初頭の反乱では、味方の諸外国に裏切られた。80年代の毒ガスによるジェノサイドでも西欧諸国は沈黙した。 |