チャールズ・マクドガル監督の『HEART』でまず注目したいのは、『司祭』で注目を集めたジミー・マクガヴァンの脚本だ。彼はこの映画で心臓移植という題材を扱っている。移植されたある心臓をめぐって、出会うはずもなかったドナーの家族とレシピエント(移植を受ける患者)のあいだに接点が生まれ、
その関係が恐ろしいドラマへと発展していく。
心臓疾患を抱えるゲイリーは、妻の浮気に激昂して発作を起こし、車椅子の生活を強いられるが、脳死状態に陥った若者から心臓の提供を受けられることになる。移植手術は成功し、妻との関係も修復されたかに見えたが、身体が回復するほどに彼のなかには妻に対する疑念が膨らんでいく。
そればかりか、自分の感情をコントロールすることができなくなり、突飛な行動へと駆り立てられる。
そんな彼は心臓の出所に関心を持ち、ドナーの正体を突き止め、若者の母親マリアを訪ねる。最愛の息子を失った彼女は、孤独で救いのない日々を送っていたが、この出会いをきっかけとしてゲイリーのなかに生きている息子の心臓にとりつかれ、執拗に彼に付きまとうようになる。
そしてゲイリーと彼の妻は、彼女によって予想もしない危険な状況へと追いつめられていくのだ。
マクガヴァンの前作『司祭』は、同性愛を罪とするカトリックの聖職者が、ゲイという秘密を抱え、苦悩する物語だった。この2作品を並べてみると、彼が時事的な題材にこだわりを持っていることがわかるが、題材へのアプローチは社会派的な視点とはまったく違っている。
彼が追求しているのは、精神と肉体をめぐるもっと普遍的な主題だ。
『司祭』は一見カトリックの教義と同性愛者の相克を描いているように見えるが、決してそうではない。フランク・ブラウニングの『The Culture
of Desire』のように、ゲイ・カルチャーに関する欧米の著作では、ゲイの関係が精神的な体験であり、 カトリックの信仰とも結びつくという記述をよく目にするが、この映画も独自の視点で同じことを表現している。つまり、主人公の聖職者はたまたまゲイであったのではなく、ゲイであることが彼をいっそう信仰へと駆り立てる。肉体と精神は不可分なのだ。
『HEART』では、心臓の臓器移植という題材を通して、共通する主題が追求される。この映画では、10代でシングル・マザーになり、息子と信仰を支えとしてきたマリアとディンクスの生活を送るゲイリー夫婦の価値観の違いが対比的に描かれている。そして、移植される心臓はただの臓器ではなく、
双方の家族に精神的な影響を及ぼしていく。ひとつの心臓をめぐって、ふたつの価値観が激しくせめぎあい、彼らの精神と肉体のバランスが崩れるとき、嫉妬は殺意に、信仰は狂信に変貌する。これは、人間の精神と肉体の深い結びつきを浮き彫りにするサイコ・スリラーなのである。 |