アワー・フレンド
Our Friend


2019年/アメリカ/英語/カラー/126分/ヴィスタ/5.1ch
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(初出:)

 

 

告知を分岐点としてそれ以前と以後を往復する構成が
親友という表現では不十分な特別な関係を描き出す

 

[Introduction] 2015年、雑誌「Esquire」に掲載され、栄えある全米雑誌賞を受賞したエッセーを映画化。余命宣告を受けた妻と彼女の夫が、親友の献身的な助けを得て、愛と友情という言葉ではとても語りきれない絆を結び、限られた時間をかけがえのない日々に変えていく──。

 本作の原作者でもあるマット役には『マンチェスター・バイ・ザ・シー』でオスカーを獲得したケイシー・アフレック。彼の妻ニコル役に『フィフティ・シェイズ』シリーズで一躍注目を浴び、その後も『サスペリア』等幅広い作品で活躍するダコタ・ジョンソン、そして2人の親友デイン役には、多くのコメディ作品に出演し幅広い演技に定評のあるジェイソン・シーゲル。名実ともにキャリアを積み上げてきた実力派3人が実話に基づいた役を見事に演じきった。監督はドキュメンタリー映画で高く評価され、英国アカデミー賞ノミネート経験のあるガブリエラ・カウパースウェイト。(プレス参照)

[Story] 仕事に打ち込むジャーナリストのマットと妻で舞台女優のニコルは、2人の幼い娘を育てながら毎日を懸命に生きていた。だが、ニコルが末期がんの宣告を受けた日から、一家の生活は一変してしまう。妻の介護と子育てによる負担にマットが押しつぶされそうになるなか、かつて人生に絶望した時に2人から心を救われた親友デインがやって来る。2年にも及ぶ闘病生活。3人の想いと苦悩が交錯していくなか、彼らが見つけた希望とは──。

[以下、短いレビューになります]

 本作の物語は、時系列で語られるのではなく、ニコルが告知を受ける時点を分岐点として、それ以前と以後を往復するようにエピソードが積み重ねられていく。ニコルが告知を受けるのが2012年で、そこから告知の4年前の2008年、告知の1年後の2013年春、告知の2年前の2010年秋というように、時間をさかのぼったり、先に進んだりする。

 そのため最初はいくらか混乱し、人物に感情移入しにくいと感じる人もいるかもしれないが、結果的にはこの構成によって3者の特別な関係がより鮮明になる。


◆スタッフ◆
 
監督   ガブリエラ・カウパースウェイト
Gabriela Cowperthwaite
脚本 ブラッド・イングルスビー
Brad Ingelsby
原作 マシュー・ティーグ
Matthew Teague
撮影監督 ジョー・アンダーソン
Joe Anderson
編集 コリン・パットン
Colin Patton
音楽 ロブ・シモンセン
Rob Simonsen
 
◆キャスト◆
 
マット・ティーグ   ケイシー・アフレック
Casey Affleck
ニコル・ティーグ ダコタ・ジョンソン
Dakota Johnson
デイン・フォシュー ジェイソン・シーゲル
Jason Segel
フェイス・プルイット チェリー・ジョーンズ
Cherry Jones
テレサ グウェンドリン・クリスティー
Gwendorine Christie
-
(配給:STAR CHANNEL MOVIES)
 

 さらに、本作の構成では、もうひとつ、節目となる時間が強調されている。物語は、告知から1年半ほど経過した2013年秋に、マットとニコルがふたりの娘に母親の命があとわずかであることを打ち明けようとするところから始まる。そのとき、デインも彼らの家にいて、ひとりでポーチに座っているが、私たちには一家と彼がどんな関係にあるのかまだまったくわからない。

 本作では、単に告知の以前と以後を往復することで3者の関係が明らかになるだけではなく、その途中でもう一度この場面に戻り、冒頭では省略されていた部分が描かれることで、最初は見えなかった3者の状況や関係、感情などが浮き彫りにされる。そして、もしデインがいなければ、一家の姿はまったく違ったものになっていただろうと思える。

 本作のタイトルである「アワー・フレンド」とはデインのことで、ある意味では彼こそが主人公であり、この冒頭の場面に戻るまでに彼の人物像がだいぶ明確になっている。最初は、なぜデインが自分の仕事や恋愛まで犠牲にして、ニコルとマットのために献身的に尽くすのか不思議に思える。だが、告知の2年前、デインが思い立ったようにひとりでトレッキングに出かけ、山のなかでテレサという女性に出会うことで、彼の複雑さや深い孤独がわかってくる。

 ちなみに、この山のエピソードの終わりの部分も印象深い。山を下りて車まで戻ってきたデインは、マットとニコル、彼らの娘たちからメッセージが届いていたことに気づく。最初にそれを聞いたとき、彼は泣きだす。そこには孤独がある。だが、二度目に聞いたときには笑みがこぼれる。彼はもう一家の輪のなかにいる。

 本作では、マットとニコル、デインの3人が支え合い、死と向き合っていくが、見逃せないのはデインが山で出会うテレサや、終盤に登場するホスピス看護師フェイスの存在だ。筆者は彼女たちを見ながら、全米図書賞を受賞したシャーウィン・B・ヌーランドの『人間らしい死にかた 人生の最終章を考える』にある以下のような記述を思い出した。

詩人やエッセイストや年代記作者、おどけ者や賢人などが、しばしば死について文章を書いているが、この人たちが死を目のあたりにすることはめったにない。一方、つねに死と接している医師や看護婦がそれについて書くこともめったにない。世の人びとはたいてい一生に一度か二度、死を目撃するが、感情的な面にとらわれるあまり、信頼できる記憶をもちつづけることができない。また、大量殺戮から生き残った人びとの場合、自分たちが見たことの恐ろしさにたいして防御的な心理作用が強烈に働くため、目撃した実際の出来事を悪夢のようなイメージとして歪めてしまう。そんなわけで、人がどんなふうに死んでいくかについての信頼できる文章はきわめて少ないのである

 テレサやフェイスは、文章を書くわけではないが、死をめぐって戸惑い、自分を見失いかけている人間に、死について伝えられる信頼できる人物であり、デインやマットが死と向き合い、あるいは死を通して生と向き合う手助けをしてくれる。彼女たちの存在がなければ、3者の関係もまったく違ったものになっていたことだろう。

《参照/引用文献》
『人間らしい死にかた 人生の最終章を考える』 シャーウィン・B・ヌーランド●
鈴木主税訳(河出書房新社、1995年)

(upload:2021/10/13)
 
 
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