復讐者が思いを遂げたと確信できる一線はどこにあるのか。どこまでやれば加害者が被害者と同じ痛みや苦しみ、あるいはそれ以上のものを味わったことになるのか。
時間がたんまりあれば、目的や一線をある程度、明確にすることもできる。たとえば、パク・チャヌクの『オールド・ボーイ』では、復讐者が15年を費やして対象を自分と似た境遇に陥れ、痛みや苦しみを思い知らせようとする。
ドゥニ・デルクールの『譜めくりの女』では、ピアノの実技試験で夢を打ち砕かれた少女が十数年後に人気ピアニストの前に現われ、譜めくりとなってじわじわと追い詰めていく。F・ゲイリー・グレイの『完全なる報復』の復讐者は10年を費やし、加害者を惨殺するだけではなく、司法制度に戦争を仕掛ける。
『悪魔を見た』の復讐者、婚約者の命を奪われた国家情報院捜査官スヒョンにはそんな時間の余裕はない。だが、確保した殺人鬼を徹底的に痛めつけ、息の根を止めるだけで思いを遂げられるとも考えていない。だから限られた時間を強引に引き延ばそうとする。
故意に犯人を泳がせ、新たな犯行に及んだ男が欲望を満たす直前に厳しい制裁を加え、再び放り出す。犠牲者になりかかる女性の心情も気にかけないその冷徹な姿勢には、すでに狂気を垣間見ることができるだろう。
ニーチェの有名な言葉の引用にあるように、悪に挑む者が自分も闇にとらわれてしまう話はよくあるが、この復讐劇はそれほど単純ではない。たとえば、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』で、バットマンが強くなるほどにジョーカーが悪辣になったように、この映画でも復讐者が悪魔を目覚めさせる。
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