「かつては、白人と黒人が通りは隔てていても「裏庭」を介して隣接して住むという、奴隷制時代の慣行に起源を持つニューオーリンズ独特の住居パターンにうながされ、エスニック間・人種間の交流が活気をつくり出していた。それが二〇世紀の後半になると、郊外化の進行によって街がより「黒く」なってい行くと、人種隔離がよりいっそう強まることになっていった。ニューオーリンズでも、全国の流れを追って都市中央部から郊外への極端な人口の脱出が始まり、街が黒くなるにしたがって、貧しくもなっていったのだ。一九六〇年、ニューオーリンズの人口の三七%が黒人だった。ところが一九七〇年にそれは四三%になる。そして一九八〇年には五五%、一九九〇年には六二%、二〇〇〇年になると六七%以上が黒人になっていった。この間、白人は郊外へと逃げて行き、彼らが向かったジェファソン郡では白人の人口が六九・八%なのに対して黒人は二二・九%しか存在せず、セント・バーナード郡では白人は八八・二九%なのに対して黒人は七・六二%だけである。セント・タマニー郡だと、白人は八七・〇二%なのに、黒人はわずか九・九%だ。さらに黒人の中流層も隣接のジェンティリーの街やニューオーリンズ・イーストに避難の場所を見つけ、黒く貧しいインナー・シティの窮状はさらに極まっていった」
では、貧困はインナーシティに取り残された黒人の若者にどのような影響を及ぼすのか。それがこの5曲目のタイトルの“Angola”と関わることになる。前掲同書には以下のような記述がある。
「学校を中退してしまえば、若い黒人学生の多くが結局アンゴラ刑務所――以前はプランテーションだったところであり、服役者は未だに手で耕作作業をさせられ、その果てに九〇%の囚人が所内で死に行くところ――に入所する運命に落ちていく」
ちなみに筆者は、タイトルのなかで“Angola”と奴隷制の廃止や禁止を定めた合衆国憲法修正13条が結び付けられているところから、まったく別の連想もした。この修正条項にはもちろんリンカーンが関わっているが、ジャーナリストのクリス・ヘッジズが書いた『戦争の甘い誘惑』には、以下のような記述がある。
「アンゴラ内戦でアメリカが支援した叛乱派指導者ヨナス・サビンビは、タリバンにもまさる残虐さで殺し、拷問にかけ、1973年の叛乱勃発から50万人以上の死者がでている。このザビンビをアンゴラのアブラハム・リンカーンと賞賛したのはレーガン大統領である」。余談ながら、キャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』の冒頭でも、本書から「戦争はドラッグだ」という言葉が引用されている。
6曲目の<Last Broken Heart(Prop 8)>のProp 8とは、2008年にカリフォルニア州で行われたゲイ同士の結婚の是非を問う選挙のことを意味している。7曲目の<Jenacide>は、2006年にルイジアナ州の小さな町ジーナにある高校で、根深い人種対立から起こったJena 6事件を題材にしている。日本でも報道されたので説明の必要はないだろう。"Jenacide"とは、Jenaとgenocideを結びつけた言葉だ。
8曲目の<American't>は、もちろんオバマの“Yes We Can”を意識した言葉で、2008年の大統領選のあとに出てきた反動に対するメッセージになっている。
さらに、アルバム・タイトルにもスコットの姿勢が表れている。日本語にすれば、「今日できることを明日に延ばすな」が相応しいだろう。聴き込むほどに、スコットの世界に対する視点や真摯な姿勢が際立ってくる力作だ。 |