アンセム / クリスチャン・スコット
Anthem / Christian Scott (2007)


 
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(初出:Into the Wild 1.0 | 大場正明ブログ 2010年3月4日更新、抜粋のうえ若干の加筆)

 

 

ハリケーン・カトリーナの悲劇
世界の縮図としてのニューオーリンズ

 

  2005年8月末にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナは、音楽都市ニューオーリンズに甚大な被害をもたらした。この悲劇は、地元のミュージシャンの意識にも様々な影響を及ぼしている。

 たとえば、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドがカトリーナの襲来以後、最初にリリースした『What's Going On』(2006)では、洪水で水浸しになった街の写真がジャケットに使用され、マーヴィン・ゲイをカヴァーした音楽には、人々のやり場のない怒りが表現されていた。

 本サイトの[Music]→[Musician/Band]のコーナーでも取り上げているグループ、ハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフの音楽もこの悲劇と無関係ではない。グループを率いるアリンダ・リーは、この悲劇を通してニューオーリンズとの精神的な繋がりに目覚め、聖と俗、生者と死者を結ぶ独自の世界を切り拓いていった。

 そして、新世代のジャズ・トランペッターとして日本でも注目されているクリスチャン・スコットもそのひとりだ。ニューオーリンズ出身の彼は、2006年のメジャー・デビュー作『リワインド・ザット(Rewind That)』でグラミー賞にもノミネートされたが、このアルバムとそれに続く2007年の『アンセム(Anthem)』では作品の持つ意味がまったく違う。


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◆Jacket◆
 
◆Track listing◆

01.   Litany Against Fear
02. Void
03. Anthem (Antediluvian Adaptation)
04. Re:
05. Cease Fire
06. Dialect
07. Remains Distant
08. The Uprising
09. Katrina's Eyes
10. The 9
11. Like That
12. Anthem (Postdiluvial Adaptation) - feat. Brother J of X-Clan

◆Personnel◆

Christian Scott - cornet (1, 2, 3, 12), trumpet (1, 4-6, 8-10), piano (4), flugelhorn (5, 11,), soprano trombone (7); Aaron Parks - piano (1-3, 6-10), synth bass(5, 6, 8,), Fender Rhodes (5, 9), synth (6, 8); Esperanza Spalding - bass (1, 4); Marcus Gilmore - drums; Matt Stevens - guitar (1-3, 5-12); Louis Fouche - straight alto saxophone (5, 6, 9-11); Luques Curtis - bass (2, 3, 6-12); Walter Smith III - tenor saxophone (7-9)

(Concord Jazz)
 
 

 スコットは、ハリケーン・カトリーナと罹災後の復興に影響を及ぼした政府の失策による故郷の惨状に心を動かされて『アンセム』を作り上げた。

 このアルバムには、そのタイトルにもなっている<Anthem>がふたつのヴァージョンで収められている。3曲目の<Anthem (Antediluvian Adaptation)>は、洪水以前のニューオーリンズを意味し、その演奏には、脅威を前にした陰鬱な空気が漂っている。ラストナンバーの<Anthem (Postdiluvial Adaptation)>は、洪水後を意味し、スコットのトランペットとX-クランのブラザーJのラップが絡み、怒りや苦悩が表現されている。

 しかし、スコットがこのアルバムで向き合っているのは、ハリケーン・カトリーナによって荒廃したニューオーリンズだけではない。彼は、このアルバムを作っている間に、アメリカや世界で起こっている問題に関心を持ち、ニューオーリンズを世界の縮図として、権利を奪われた人々を表現しようとした。

 ブラザーJのラップは、ハリケーンから人種差別や暴力の歴史へと広がっていくが、スコットは必ずしも具体的な言葉に頼っているわけではない。

 彼は、トランペットのサウンドを人の声に近いものにする“ウィスパー・テクニック”を習得した。だから、彼の音楽には深く豊かなエモーションがある。彼のリスナーのなかには、ジャズに馴染みはないが、音に込められたエモーションにただならぬものを感じ、ファンになった人も少なくない。


(upload:2012/02/04)
 
 
《関連リンク》
『イエスタデイ・ユー・セッド・トゥモロウ』 レビュー ■
『Katrina Ballads』 レビュー ■

 
 
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