2005年8月末にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナは、ニューオーリンズの音楽にも様々な影響を及ぼした。ハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフ(Hurray for the Riff Raff)というグループの中心メンバーとしてニューオーリンズを拠点に活動するアリンダ・リーも例外ではない。ヴォーカルとバンジョーを担当するアリンダの曲作りに影響を与えたのは、古いブルースやブルーグラス以前のマウンテン・フォークだが、単にノスタルジーに訴えかけるような音楽ではない。
アリンダはプエルトリコ系で、ニューヨークのブロンクスで育った。そんな彼女がなぜニューオーリンズに暮らし、音楽活動をするようになったのか。彼女の人生の転機になったのは、ハリケーン・カトリーナだった。その経緯は、「eMusic」 のインタビュー記事に詳しく書かれている。
反抗的なティーンで、自分がなにをやりたいのかわからずに鬱屈した日々を過ごしていたアリンダは、17歳で家を飛び出し、カリフォルニアを目指して放浪の旅に出た。彼女がニューオーリンズを訪れたのは、ニューヨークにいた頃からの友だちがそこに住んでいたからだ。
彼女はニューオーリンズで、音楽をやっている仲間たちに出会い、ザ・デッド・マンズ・ストリート・オーケストラというグループでウォッシュボードを担当することになり、演奏旅行に出る。それが、ハリケーン・カトリーナが襲来する前の冬のことだった。そして、カトリーナがニューオーリンズを襲ったときも、それを知らずにモントリオールで演奏をしていた。
しかし、11月にニューオーリンズに戻り、多くのものが失われた街を目の当たりにした彼女は変わる。これまでアウトサイダーで旅行者だった彼女は、そこに住む決意をする。そして、知り合いのミュージシャンからもらったバンジョーを習得し、自分で曲を作るようになる。彼女がニューオーリンズになにを見出したのかは、こんな言葉から察せられるだろう。
「私の曲はニューオーリンズの生活を結びついていると思う。ニューオーリンズに暮らす人々は、それぞれの理由で死と密接な関係を持っていて、ここに長く暮らせば暮らすほどもっと死が身近なものになっていく」
アリンダの音楽を特別なものにしているのはそういう感覚だ。彼女は、自分が愛する人々が死んでしまっても、そばにいるように感じる。そして、すでにこの世になく、絶対に会えるはずのないミュージシャンたちと繋がっているように感じる。彼女のバンジョー、ヴォーカル、歌詞にはそれが表れている。
いまではメディアといえば、様々な媒体、通信手段を意味しているが、かつては聖と俗、死者と生者を繋ぐ「霊媒」を意味していた。ニューオーリンズという土地に深く根ざしたアリンダの音楽には、そういう意味でのメディアの力を感じる。