スティーヴン・ビーチーという新人作家が91年に発表した長編"The Whistling Song(路の果て、ゴーストたちの口笛)"は、現代の「路上」といえる素晴らしいロード・ノヴェルだ。
この小説の主人公マットは、14歳の時に同い年の仲間ジミーとともに、アイオア州デモインにある孤児院を飛びだし、アメリカを彷徨っていくことになる。著者が ”移動すること” について非常に自覚的であることは、 こんなエピソードから容易に察することができる。
孤児院を抜けだしてハイウェイにたどり着いたとき、マットは東に向かうべきか西に向かうべきか頭をひねったあげく、西はアウトローが向かう伝統的な方向だが、まずは東へ、旧世界へ、過去へと向かうことにしようと考える。 この東への旅は、彼が孤児院が雇った探偵につかまり、連れ戻されることで終わりを告げ、小説の後半では、彼は今度は西へと旅立っていくことになる。
このマットにとって、仲間のジミーは特別な存在である。ジミーは14歳にしては大人びていて、孤児院でも規則を守ることがなく、マットを旅に誘いだす張本人となる。危険な衝動に駆り立てられるように奔放な行動をとるジミーは、しばしばマットを困惑させる。 しかしマットは、そんなジミーの悪魔的な魅力に惹きつけられ、路上で別れ別れになった後も、彼のことが頭から離れない。
ふたりの関係は、「路上」における語り手サル・パラダイスと、彼が想いを寄せるつかみどころのないディーン・モリアーティ、そしてケルアックとニール・キャサディの関係を髣髴させる。ジミーには黒人の血も流れているという設定は、
「ハックルベリー・フィンの冒険」のハックとジムを連想させもする。
実際この小説では、本が好きなマットが、書店からケルアックやトゥエインの本を盗んだり、彼とジミーの関係をケルアックとキャサディ、ハックとジムになぞらえたりする場面があるのだ。
しかしながら、この小説が現代の”路上”を思わせる一番の理由は、その時代背景にある。ケルアックや彼の「路上」は、戦後の冷戦構造のなかで、一般大衆が政治や社会から逃避し、大量消費に支えられたアメリカン・ドリームに酔いしれる時代に、鋭い輝きを放った。
この小説は、レーガン政権がその50年代の価値観を呼び覚まし、保守化政策をすすめた時代、同じように人々が消費にまみれ、不毛な上昇志向が幅をきかせた80年代を背景としているのだ。 |