トッド・ギトリンの『アメリカの文化戦争』には、「戦争は国内の画一性に祝杯をあげる季節になる」とか「戦争はアメリカ精神がたるんできたと思われる時分に起きては、その緩んだたがを締め直した」という記述がある。
本書『静かなる戦争』が扱うのも、アメリカが関わった戦争だが、それは、国内に政治的な求心力を生みだす戦争ではない。ハルバースタムは、父ブッシュとクリントン政権、軍、議会などが冷戦後の90年代に、ボスニア、コソボ、ハイチ、ソマリア、ルワンダで起こった新たな紛争や問題にどう対処したのかを詳細に検証することによって、アメリカの変化、矛盾、混迷を浮き彫りにしていく。
湾岸戦争直後、父ブッシュの支持率は90パーセントにも達し、「アメリカで、これほど再選を確実視された大統領はめったにいない」と思われた時期があった。だが、その支持率は下降線をたどっていく。アメリカ国民にとってこの戦争は、戦闘で犠牲になる人間がほとんどいないヴァーチャルな戦争だったため、すぐに関心が薄れた。それが直接の原因だが、その水面下では大統領選をも左右する大きな変化が起こっていた。冷戦終結によってアメリカは内向きになった。国民の関心は、経済を中心とした国内問題に移行し、全米ネットのテレビ局は娯楽偏重となり、硬派なジャーナリズムの質は低下してしまう。
アメリカは湾岸戦争で、ハイテク兵器を駆使したインフラへのピンポイント攻撃という新たな戦略で、圧倒的な軍事力を見せつけた。しかし、かつてないほどの影響力を持ったこの超大国では、国民やメディアが冷戦後の外交問題を深刻に受け止めているわけでも、新たな取り組みを求めているわけでもなかった。リスクの低い人道的な介入が可能であっても、国内の支持は得られない。たとえば、ユーゴとの関係は冷戦下では重要な意味を持っていたが、冷戦後にその意味は失われている。だから、父ブッシュ政権は危機に瀕するバルカン情勢を無視しようとする。大統領選で父ブッシュの外交政策を批判したクリントンは、自分が同じ立場になってはじめて、その舵取りの難しさを思い知らされる。
政権や軍は外交問題に対して慎重になる。ところがそこに、メディアや国民が予想もしない波紋を投げかける。ソマリアの惨状がテレビに映しだされ、国民の人道的な衝動に火がつくと、介入に踏み切らざるをえない。しかし、第三世界では予想外の展開が起こり、ソマリア、ハイチで失態を演じた政権は、ルワンダの大量虐殺では完全に後手に回る。
クリントンは何度となく苦境に立たされる。ベトナムの苦い記憶を引きずる軍は、明確な外交政策を打ち出せず、スキャンダルを引き起こす彼を全面的に信頼できない。さらに、ボスニアやコソボの問題では、アメリカに対するヨーロッパの反発があり、ミロシェビッチはNATOの足並みの乱れにつけ込む。それでも最終的にアメリカは、空軍力だけで画期的な勝利を収めるが、しかし、クリントン政権によって、冷戦後の世界のなかでアメリカの果たす役割が明確にされたわけではない。
本書がまとめられたのは9・11以前のことであり、ハルバースタムが掘り下げたアメリカの状況は、9・11によって決定的に変わってしまったかに見える。ボブ・ウッドワードの『ブッシュの戦争』を読むと、ブッシュやラムズフェルドが、クリントンの外交政策、空軍力を主体とした戦術をいかに否定的にとらえ、その弱腰の姿勢が9・11を招来したとすら思っていたことがよくわかる。しかし、本書には、新保守派勢力に押しまくられる現状を修正するヒントが示されている。
ハルバースタムが、外交問題に翻弄される90年代のアメリカでたびたび目にするのは、ベトナム戦争の亡霊であり、彼は本書をこんな言葉で結んでいる。「アメリカ社会の健全さを保つうえで不可欠でありながら、あの戦争で手痛い影響を受けた二つの組織。米軍と民主党の中には、今も消えない深い傷跡が残されているのである」
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