ナスターシャ・キンスキーは、ロマン・ポランスキー監督の『テス』でヒロインを演じることによって、女優として開花した。もし70年代半ばにポランスキーと出会うことがなければ、彼女のキャリアはまったく違ったものになっていたことだろう。
『テス』は、ポランスキーの妻で女優だったシャロン・テートに捧げられている。トマス・ハーディの原作小説をポランスキーに勧めたのは彼女だった。シャロンは69年8月、ロスにある夫妻の自宅に押し入ったマンソン・ファミリーのメンバーによって惨殺された。彼女は妊娠8ヶ月で、そこに居合わせた友人たちも犠牲になった。ポランスキーは仕事でロンドンにいた。ロンドンから一足先に帰国するシャロンが、夫のためにナイトテーブルに残したのが、彼女のメッセージを添えたこの小説だったともいわれている。
そして、76年に15歳のナスターシャに出会ったポランスキーは、『テス』の映画化に動き出す。しかしその翌年、彼は、13歳の少女をレイプして訴えられ、アメリカを出国してパリに逃亡するという事件を引き起こす。
61年に西ベルリンで生まれたナスターシャにも、69年に転機が訪れる。彼女の父親は、ヴェルナー・ヘルツォークとのコラボレーションでひときわ異彩を放った俳優のクラウス・キンスキーだが、その父親が、度重なる浮気の果てに母親と娘のもとを去ったのだ。詩人ともヒッピーとも形容される母親は、離婚後、娘を連れて世界を放浪する旅に出た。
その結果、ナスターシャは、複数の言葉が話せるようになったが、定住できない生活は精神的な負担にもなった。そんな彼女は、13歳のときにヴィム・ヴェンダース監督の『まわり道』で映画デビューし、ドイツだけではなく、イギリスやイタリアにも活動の場を広げ、『悪魔の性キャサリン』、『レッスンC』、『今のままでいて』といった作品に出演するが、そこには方向の定まらない危うさが見え隠れしている。
ナスターシャとポランスキーは、どちらもコスモポリタンというよりは、自分の居場所を見出せない異邦人といってよいだろう。そしてそれは、『テス』のヒロインの運命でもある。テスは、自分が名家の末裔だと知って現実を見失う父親、弱みにつけ込んで彼女を自分のものにするアレック、彼女を愛しながらその過去を受け入れられないクレアという男たちに翻弄され、追い詰められていく。過剰なまでの疎外や孤独、性的抑圧は、ポランスキーが描きつづけてきたテーマでもある。
しかし、テスは単なる犠牲者ではない。ポランスキーが強調し、ナスターシャが体現しているのは、テスと自然の繋がりだ。彼女は、苛酷ではあるが美しい自然のなかに溶け込んでいく。ハーディの原作には、このような記述がある。
「彼女は一般に認められている社会の掟を余儀なく破る羽目に陥りはしたが、その中で自らを勝手に異分子だと考えている、この自然の環境に通用する掟を、決して破りはしなかったのだ」「戸外の『自然』の形や力を主な伴侶とする女というものは、後世になって彼女らに教えられた組織だった宗教よりも、遠い祖先の異教的な空想の方をはるかに多くその魂の中にとどめているものだ」 |