マックァリーは『パブリック・アクセス』と『ユージュアル・サスペクツ』の脚本で、集団と個人、操る者と操られる者の関係を描いている。操る者は実像だけを見ればカリスマ性など持ち合わせていない。ところが、テレビや電話などのメディア、人間の先入観、不満、猜疑心や不安を利用することによって、集団を自在に操る虚像と化す。突き詰めれば、思惑が錯綜する集団が不覚にも虚像を作り上げ、その虚像にからめとられていくのだ。
この"虚像の力学"は実に鮮やかだが、それがマックァリーの核心的な主題だと断言することはできない。もともと小説家志望だった彼は、幼なじみのブライアン・シンガーに請われて『パブリック・アクセス』の脚本を書いた。そのシンガーは、大統領選に立候補したロス・ペローが七億ドルでテレビの時間を買い取り、大統領になろうとしているという話題が、この映画のヒントになったと語っていた。確かにシンガーには、虚像と実像に強い関心があり、マックァリーはそんな主題を鋭く掘り下げ、また犯罪映画にも応用することで、この二本の脚本を作り上げたことになる。
ところが、その後のマックァリーを虜にしているのは、アレキサンダー大王を題材にした大作で、しかも脚本はピーター・バックマンであり、彼は監督にこれまでにない熱意を示している(ジュード・ロウが主演に決まったとも聞く)。そしてこの企画が暗礁に乗り上げている間に、彼は自ら脚本を書いた『誘拐犯』で一足早く監督に進出した。
再び犯罪ものを手がけるのに二の足を踏んでいた彼は、友人の俳優ベニチオ・デル・トロの「誘拐ものはどうか」という助言をきっかけに、この作品を作った。だが、二人組の無法者と一枚岩ではない集団双方の思惑のズレを、緊迫したシチュエーションの積み重ねで描き、アクションから人間が見えてくる演出には非凡なセンスを感じる。おそらくそんな演出が『アレキサンダー大王』を異色の歴史大作にすることだろう。 |