ソーレン・クラウ・ヤコブセン・インタビュー

2000年1月 銀座
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(初出:『ミフネ』劇場用パンフレット、若干の加筆)
小さな存在のサバイバルと自己の再発見

 ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督の『ミフネ』は、ラース・フォン・トリアー(『奇跡の海』)を中心としたデンマークの四人の監督集団ドグマ95≠ェ始めた試みの#3にあたる。ドグマ作品では、映画製作に厳しい制約が課される。その記念すべき#1であるトマス・ヴィンターベアの『セレブレーション』には、 ドグマのひとつのかたちを象徴するような独特の緊張感があった。ところがこの『ミフネ』は、対照的にドグマをほとんど意識させない作りになっている。それはヤコブセン監督の一貫した主題がこの作品にきわめて自然なかたちで現れているからだ。

――『エマ』『マイ・リトル・ガーデン』、そしてこの『ミフネ』を観ると、あなたの映画では、子供の世界や視点が作品のなかで重要な位置を占めていますが、その出発点はどこにあるのでしょうか。

ソーレン・クラウ・ヤコブセン(以下SKJ)監督になる前に、デンマーク放送で児童番組の制作に関わり、子供たちと接する機会を持ったということもあります。しかしわたしにとって子供の世界が重要な理由は他にあります。デンマークは決して人口が多くないので、プロの役者の数も限られます。 そのためいつも同じ俳優を起用しなければならなくなるのです。そこでどうしたら新しい顔や才能を発掘できるだろうと考えたときに、子供たちに行き着きました。たとえば『エマ』では、5千人の少女と話をして主役を決めたというように、自分が求める顔やキャラクターを自由に選ぶことができるのです。 経験がない子供をいかに演出するかということにも非常に魅力を感じます。さらに子供の視点というのは、未来への視点でもありますからね。

――ドグマの話がきたとき、このアイデアについてどのような印象を持ちましたか。

SKJ この話がくる前にわたしは、『マイ・リトル・ガーデン』を撮ったのですが、この映画は4カ国の共同制作で、プロデューサーなど様々な人々がわたしの仕事に口を出してきました。そんなわけで、わたしが自分の作品を完全にコントロールすることを渇望しているときに、ラースから話がきたのです。

 わたしは映画を作るときに、別のものをメタファーとして思い描くことがよくあるのですが、ドグマについては、MTVアンプラグドを連想しました。わたしは最初にアンプラグドのことを知ったときに、たとえばE・クラプトンのように才能があって、 最新のテクノロジーを使ってどんな音でも作れるミュージシャンが、なぜわざわざ原点に戻るようなことをするのか不思議でした。しかし、何でもできるからこそ、本当に何ができるかを確認したい、自分を試したいのだという結論に至りました。そしてドグマにもそれと共通する意味があると思いました。

――あなたの映画では、『エマ』の少女が誘拐の狂言を仕組んだり、『マイ・リトル・ガーデン』の少年が、ナチス占領下の状況をロビンソン・クルーソーの世界に置き換えるなど、現実と虚構の交錯のなかで、主人公が心の通う絆を見出したり、苛酷な状況を生き抜いたりします。 『ミフネ』でも自分の世界を生きているルードが、弟を含む3人の男女の嘘で塗り固めたような人生を変えていくところにある種の共通点を感じるのですが。

SKJ わたしはこれまでに8本の作品を監督してきましたが、そのなかで同じ物語を繰り返し語っています。それは子供たち、小さな存在がサバイバルしていく物語です。画家のモネが同じ花のモチーフを繰り返し描きつづけたように、わたしもキャラクターや色を変えて同じ主題を描いているのです。 そこから見えてくる人間的な部分というものがとても重要だと思います。『ミフネ』のなかでまともな人間はルードだけです。彼は自分の背景を隠したり、嘘をついたりしませんから。わたしにとっては彼がこの映画の中心人物なのです。


◆プロフィール
ソーレン・クラウ・ヤコブセン
1947年デンマークのコペンハーゲン生まれ。68年に電気技師の資格を得るが、翌年プラハに行き、70年にはドキュメンタリー・フィルムを専攻してFAMUを卒業した。 71年から83年にかけてデンマーク・ラジオ(デンマーク放送組合)の仕事に就き、数多くの子供や若者向けの企画を手がけた。最初の長編映画『Do You Wanna See My Beautiful Navel』(77)は、 いわゆる青春映画のジャンルにも内容のあるエンターテイメント・ムーヴィーが成立しうることを証明し、現代の古典となった。さらに、『Rubber Tazan』(81)、『Kingfisher』(83)、『Golden Rain』(86)、『エマEMMA』(87)、『The Boy From St.Petri』(91)、『マイ・リトル・ガーデン』(97)を発表している。 また、作品の何本かはデンマーク・アカデミー賞最優秀作品賞を受賞、82年ベルリン映画祭では『Rubber Tazan』がユニセフ児童映画大賞を受賞、『エマEMMA』はカンヌ青少年映画祭でグランプリを受賞、『マイ・リトル・ガーデン』は第47回ベルリン映画祭の新人賞と銀熊音楽賞の両方に輝くなど、 国内外で多くの賞や名誉を与えられ国際的な評価を受けている。ソングライターとしての活動しており、自分の歌を外国語に翻訳している。
(『ミフネ』プレスより引用)

 

 

 


――『ミフネ』では、クレステンの新婚初夜に愛情ではなく欲得の関係が浮き彫りにされたり、リーバが娼婦という過去を持っているなど、セックスに縛られた人間が解放されていく物語にもなっていると思うのですが、セックスを強調したのはどうしてでしょう。

SKJ わたしは中身のあるセックス・シーンを映画に盛り込むのは素晴らしいことだと思います。セックスは人生のなかで最も重要な部分ですから。ところが、『スターシップ・トゥルーパーズ』のようにたくさんの人間を殺す映画は何歳の子供でも観れるのに、 自分の映画のようにほんの少しのセックス・シーンがあるだけで16歳以下の子供が観られないということには、とても疑問を感じています。

 『ミフネ』の最初のセックス・シーンは観客が笑えるものにしたいと思いました。彼らのセックスは機械的で、お互いにまったく違うことを考えています。クレステンにとってはクルマのキーをいじっている方が楽しいわけです。ドグマでは映像と音を別々に処理することが許されないので、 このシーンの撮影では新婦の女優に、7カット撮るけど毎回違う声を出してほしいと頼みました。わたしはその違うキーを使って、曲を作るようにこのシーンを編集しました。

 しかし映画の後半にあるクレステンとリーバのセックスは、そういう安易なものではなく、より繊細なものに変わっていきます。そう、彼らは性的な世界のなかで、解放されていくわけです。いまからこの作品を振り返ると、ルードにもフィアンセを準備するべきだったかとも思うのですが、それは観客の想像力にゆだねたいと思います。

――ミフネのエピソードについては、三船敏郎が亡くなったというニュースを耳にしたことがきっかけとも聞いたのですが、それ以前からミフネに興味があったのですか。

SKJ 子供の頃に初めて『七人の侍』を観て、ミフネに夢中になりました。彼は異国の人間で、言葉や姿かたちもまったく違うのですが、わたしたちとまったく同じ感情を表現してました。すごく可笑しくて、切なくて、男らしくて、強くて、優しくて、とにかく素晴らしかった。それから何度も『七人の侍』を観て、 彼の芝居が脳裏に焼きつきました。そして、『ミフネ』で兄弟がやるのとまったく同じように、わたしは息子たちとミフネごっこを本当にやってました。日本語の意味はわかりませんが、声を真似ていたのです。だから、クレステンにわたしのミフネへの想いを反映することにし、題名も『ミフネ』にしました。

――ドグマの体験はあなたの次の作品に何かよい影響をもたらすと思いますか。

SKJ より自由な創作の場を求めていたわたしにとって、よい経験になりました。その経験は、さらに二本の低予算映画を作るためのインスピレーションをわたしに与えてくれました。そういう意味でとても有意義でしたが、またドグマ作品を撮ろうとは思っていません。それは馬鹿げています。 しかしもしかしたら、十年後には、新しいインスピレーションを求めて、またドグマにチャレンジするかもしれません。


(upload:2001/01/04)
 

《関連リンク》
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『ミフネ』 レビュー ■
トマス・ヴィンターベア・インタビュー01 ■
『セレブレーション』 レビュー ■

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