――ヴィンセントはコントロール・フリーク(ヴィンセント・ギャロ・インタビュー参照)を自認していまが。
「もちろん私は監督なので、すべてをコントロールする立場にあるし、すべての面を考え抜いて書いた脚本で、それを承知して受けてくれたわけで、そういう部分での対立はいっさいなかった。とはいえ零下35℃のなかで逃げ回るだけに、精神的にも苦痛はあったと思う。できるだけ苦痛を感じさせないように努力はしたが、心地よい仕事ではなかっただろう。それ以外はなにも問題はなかった」
――ヴィンセント・ギャロがたまたま通りかかった母親の母乳を吸うシーンが、すごくシュールで印象に残りました。
「あのシーンは、ぽっと浮かんで書き足したものだ。そもそもシュールなシーンがとても好きなのだが、あまりやりすぎるは好きではない。シュールを全面に出して映画を作りたいとは思わない。なにかシュールでビザールな要素をリアルなもののなかに盛り込むことは意識している」
――雪に覆われた森を彷徨うこの異邦人の姿には、故郷を喪失したディアスポラとしてヨーロッパやアメリカを転々としてきたあなた自身を垣間見ることができます。
「そう、その通りだ。どこまで出すかが難しいところだが、私の思いであるとか実体験というものが、なんらかのかたちで表れていることは間違いない」
――動物は過去も未来もなくその瞬間を生きていると思います。主人公は最終的にどこでもないところに出て、瞬間を生きるような動物性に目覚めていくと見ることもできると思うのですが。
「そうだな、その通りだと思う。要は死が近づいているということで、死ぬときにはそうなっていくのだろう」 |