パリ生まれの女性監督クレール・ドゥニの存在は、『パリ、18区、夜。』や『ネネットとボニ』といった作品によって日本でも確実に認知されつつある。だが、彼女の新作『ガーゴイル』は、これまでの作品とはかなり趣が異なるだけに、戸惑いを覚える人もいるかもしれない。
筆者がそんな違和感を覚えるまえに、この映画の世界にすんなりと入り込んでしまったのは、実はヴィンセント・ギャロの存在によるところが大きい。といっても、彼が『ネネットとボニ』を含めてドゥニ作品にすでに何度か出演し、信頼関係が作品に現れているというようなことではない。
ギャロは、『フューネラル』で組んだアベル・フェラーラ監督とも親しい。そのフェラーラには『アディクション』という異色の作品がある。この映画では、哲学を専攻する女子大生が、ニューヨークの裏通りで謎の女に襲われ、血を吸われたことから吸血鬼になる。吸血鬼であることは麻薬中毒者のように彼女を支配する。しかし、これはホラー映画ではない。ホラー的なドラマは至るところで破綻し、快楽と苦痛に蝕まれる肉体と精神が限界に達したとき、彼女は信仰に目覚める。
『ガーゴイル』もまた、ホラーというジャンルを強く意識した作品ではあるが、ホラー映画ではない。そんなフェラーラのアプローチにも通じるこの題材は、ギャロを刺激したに違いない。そういう意味で、彼はこの主役に相応しい俳優といえる。
『ガーゴイル』が描くのは、人間の愛と欲望、そしてその源をたどるなら罪でもある。シェーンはかつてレオとコレが進めていた研究の将来性に瞠目し、共同研究者となった。ところが、コレの存在に魅了され、彼女とともに自分を研究の実験台にし、恐ろしい病にかかってしまう。
そんな彼は、自分が背負った宿命を明らかにするために、パリでふたりを探し出そうとする。そこから浮かび上がるのは、瞬間的に燃え上がった禁断の愛と夫婦という関係で持続される愛の相克とは次元を異にする壮絶な葛藤だ。 |