老いた農夫のチェ爺さんと、30年間も彼とともに働いてきた一頭の牛。その日々の営みを静かに見つめた『牛の鈴音』は、韓国本国で社会現象を引き起こすほどの大ヒットを記録したドキュメンタリーだ。
これがデビュー作となるイ・チュンニョル監督は、97年のアジア通貨危機で、社会の担い手としての父親世代が、経済的・精神的に打撃を受けたことをきっかけに、父親の映画を作りたいと思うようになった。そして、監督自身の父親が牛と働く農夫だったことから、そのイメージに見合う対象としてチェ爺さんと彼の牛が見出されることになった。
しかしこの映画には、作り手の意図を超えた世界が映し出され、人間と自然の根源的な関係を垣間見ることができる。その関係は、“狩猟”から始まった。人類学者のカールトン・スティーヴンズ・クーンが書いた『世界の狩猟民』のまえがきには、以下のような記述がある。
「一万年前、人は皆狩猟民でした。読者のみなさんの先祖も含まれます。一万年はおよそ400世代にわたる期間ですが、この短さでは目立った遺伝的変化は起こりません。人間行動が他の動物行動と同じく、最終的に遺伝された能力(学ぶ能力も含む)に依存する限り、わたしたちの持って生まれた傾向は大して変化するはずはありません。先祖とわたしたちは同じ人間なのです」
たとえば、監督としてのショーン・ペンは、『インディアン・ランナー』から『プレッジ』や『イントゥ・ザ・ワイルド』へと、一貫して狩猟にこだわりつづけているが、なぜそれが重要なのか。もう一冊の本『狩猟と供犠の文化誌』に、そのヒントが見出せる。本書では、「狩猟と供犠」という問題設定における二重の目的が以下のように説明されている。
「その一つは、「文明世界」が捨てて省みることのない人間と自然の本源的な関係を、ヒトの基本的な生活活動であった狩猟のいとなみや、祭祀の場で人間と神と自然の三項を象徴的に関係づけることでそれぞれの意味と役割を設定する供犠儀礼をとおして再検討することであり、もう一つは、そこでの成果を踏まえたうえで、ともすると観念的で、さらには全体主義的な方向にさえ向かいかねない環境保護主義の思想に批判的にかかわっていくことである」 |