レーガン政権がテレビ界で進めた規制緩和は、広告から公共番組まで多方面に影響を及ぼした。経営者は視聴率と収益ばかりを重視し、視聴者が望むものをなんでも提供するようになった。そのひとつの象徴が、視聴者が参加する“トーク・ショー”で、「そこでは問題をまじめに討論するよりも、言い争い、非難、イデオロギー固執の身構えにより重点が置かれた 」(ヘインズ・ジョンソン『崩壊帝国アメリカ』※テレビ界の規制緩和の影響については第13章「エレクトロニック・カルチャー」に詳しい)。
オリヴァー・ストーンの『トーク・レディオ』は、ラジオの世界も同様であったことを物語る。主人公は、ダラスの地方局でトーク・ショーのパーソナリティを務めるバリー・シャンプレーン。電話をかけてくる聴取者たちに毒舌をふるい、怒りをぶちまける彼の番組は注目を集め、大口のスポンサーがつき、全国放送が決定する。だが彼は精神的に追いつめられていた。社会の矛盾や偏見を糾弾するはずが、挑発や非難の応酬で結ばれた関係が番組の原動力となり、憎悪と不信のなかで孤立していたからだ。
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この映画のもとになったのは、バリーを演じた劇作家/俳優のエリック・ボゴジアンが書き下ろし、主演した舞台劇だった。共同で映画の脚色を手がけたストーンとボゴジアンは、舞台劇にはなかった実話を盛り込むことにした。それは、84年にデンバーでラジオのトーク・ショーのパーソナリティとして人気を集めていたアラン・バーグが、極右団体のメンバーに射殺された事件だ。ふたりが触発されたのは、この事件を題材にしたスティーヴン・シンギュラーのノンフィクション『Talked to Death: The Life and Murder of Alan Berg』(日本語版のタイトルは「トーク・レディオ」)だった。
この事件を盛り込むことで、映画には80年代のもうひとつの社会の変化も反映されることになった。極右団体が起こした事件はこれだけではなく、社会が不穏な空気に包まれていたからだ。ジェームズ・リッジウェイの『アメリカの極右――白人右派による新しい人種差別運動』 には以下のような記述がある。「一九八〇年代になってロナルド・レーガンが政治の頂点に昇りつめ、「ニュー・ライト」が脚光を浴びるようになったことに勇気づけられて、人種差別集団が暴力事件を起こす頻度が急増した 」
当時の映画は様々なアプローチでそんな状況を表現している。実話に基づくルイ・マルの『アラモベイ』(85)では、テキサスの漁村を舞台に、アメリカに渡ったベトナム人難民と白人至上主義者に扇動された白人漁師の対立が描き出された。アラン・パーカーの『ミシシッピー・バーニング』(88)は、60年代の実話を通して80年代を見つめる。64年の夏、失踪した公民権運動家たちを捜査するために南部にやって来たふたりの刑事が人種差別を炙り出していく。
さらに、『トーク・レディオ』と対比してみると興味深いのが、コスタ=ガブラスの『背信の日々』(88)だ。この映画もアラン・バーグ射殺事件にインスパイアされている。シカゴでラジオのパーソナリティが極右団体に射殺される事件がプロローグとなり、事件を捜査するためにネブラスカの農場に潜入したFBIの女性捜査官の心理と葛藤が描かれる。
『トーク・レディオ』の注目すべき点は、メディアと極右の台頭が結びつけられているところにある。アラン・バーグの実話では悲劇の背景に、彼が放送を通じて極右団体のメンバーと討論し、徹底的にやり込めたという事情があった。映画では、政治的なイデオロギーではなく、メディアが生み出す憎悪と混乱のなかで悲劇が起こる。そんな視点は今も色褪せていない。