デッドマン・ダウン
Dead Man Down


2013年/アメリカ/カラー/118分/スコープサイズ/ドルビーデジタル
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(初出:Into the Wild 2.0 | 大場正明ブログ)

異なる世界を生きる他者との出会い
復讐という呪縛からの解放

 『デッドマン・ダウン』は、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』で成功を収めたデンマーク人監督ニールス・アルデン・オプレヴのハリウッド進出作となるサスペンス・アクションだ。

 主人公は、裏社会で不動産業を牛耳るアルフォンスの下で働く殺し屋ヴィクター。アルフォンスは正体がわからないやからからの執拗な脅迫に悩まされ、そんなボスを見つめるヴィクターには別の顔がある。妻子を殺され、自分も殺されかけた彼は、名前を変え、素性を隠し、密かに復讐の計画を進めている。

 そんなとき、向かいのマンションに住む顔見知りの女ベアトリスが、ヴィクターに接触してくる。彼女の顔には交通事故による生々しい傷跡があった。自宅のバルコニーから彼が人を殺すのを目撃し、撮影していたベアトリスは、事故によって彼女の未来を奪った男の殺害を依頼する。

 ふたつの復讐が絡み合い、予想外の展開をみせるドラマには、同様のジャンルのアメリカ映画とは異なるテイストがある。プレスによれば、オプレヴ監督は、彼のもとに送られてきた250本もの企画のなかからこの脚本を選び出したという。

 筆者にとってちょっとした発見だったのは、その脚本を書いたJ・H・ワイマンの経歴だ。カリフォルニア州生まれ。カナダのモントリオールで育ち、フランス映画に入れ込む。ブラッド・ピット主演の『ザ・メキシカン』(01)で製作と脚本を務め、ハリウッドでのキャリアを歩み始めた。

 フランス語圏であるモントリオールであればフランス映画との接点が広がるのも不思議はないが、筆者が興味を覚えたのは、フランス映画の影響というような単純なことではない。「“モザイク”と呼ばれるカナダの多文化主義の独自性と功罪」やキム・グエン監督のカナダ映画『魔女と呼ばれた少女』のレビューで書いたように、カナダには二言語併用主義/多文化主義という政策があり、特にケベック州出身のクリエイターには、他者や異文化といったテーマを掘り下げる傾向がある。

 どうやらJ・H・ワイマンも例外ではない。ゴア・ヴァービンスキーが監督した『ザ・メキシカン』が筆者のお気に入りの映画であることは、『ローン・レンジャー』のパンフにも書いたが、そこでは確かに他者や異文化が意識されている。

 ブラッド・ピット扮するダメ男は、伝説の拳銃を受け取るためにメキシコという異郷を飛び回り、メキシコ人のものである銃が最終的に誰の手に渡るのかがポイントになる。さらにサブプロットでは、ダメ男の妻が夫のトラブルに巻き込まれてギャングに拉致されるが、奇妙な成り行きで、ゲイであることが抑圧になっているそのギャングの心を解きほぐしていくことになる。こちらも他者に絡むエピソードだといえる。


◆スタッフ◆
 
監督   ニールス・アルデン・オプレヴ
Niels Arden Oplev
脚本 J・H・ワイマン
J.H. Wyman
撮影 ポール・キャメロン
Paul Cameron
編集 フレデリック・トラヴァル
Frederic Thoraval
音楽 ジェイコブ・グロス
Jacob Groth
 
◆キャスト◆
 
ヴィクター   コリン・ファレル
Colin Farrell
ベアトリス ノオミ・ラパス
Noomi Rapace
アルフォンス テレンス・ハワード
Terence Howard
ダーシー ドミニク・クーパー
Dominic Cooper
ヴァレンタイン イザベル・ユペール
Isabelle Huppert
ロン・ゴードン アーマンド・アサンテ
Armand Assante
グレゴール F・マーレイ・エイブラハム
F.Murray Abraham
-
(配給:プレシディオ)
 

 そして、この『デッドマン・ダウン』でも他者が意識され、ドラマを印象深いものにしている。ヴィクターは、ハンガリーからやって来た移民で、どれほどリアルなのか筆者には判断できないが、彼の言葉には訛りがある。亡妻のおじの存在を通してハンガリー人のコミュニティも垣間見えるが、彼は同胞との繋がりを失いかけている。サブプロットの軸となるベアトリスは、母親とふたりで暮らすフランス人で、母親とはしばしばフランス語で話している(ちなみに母親はイザベル・ユペールである)。

 さらに、アルフォンソのグループと同盟を組んでいるのは、アルバニア人のグループである。ヴィクターは、アルバニア人のボスの弟を拉致し、それをアルフォンソの仕業に見せかけ、仲間割れを起こす計画も進めている。ちなみに、計画は予定通りにはいかないが、クライマックスで役に立つ。その際には、アルフォンソにアルバニア語がわからないことが命取りになるともいえる。

 この映画では、そうした他者性を土台とし、その上にオプレヴ監督の世界が切り拓かれる。彼は主人公の内面を掘り下げ、呪縛と解放を描き出す。前々作の『To Verdener/Worlds Apart』では、エホバの証人の家庭で育ったヒロインが、証人ではない若者と恋に落ちたことから、信仰か世俗かの葛藤を強いられ、自立を遂げていく。前作『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』では、性的虐待という過去を背負うリスベットが、ジャーナリストのミカエルと出会い、ナチズムの闇をくぐり抜けることで過去に決着をつける。

 この映画では、そんな視点を引き継ぐように、ヴィクターとベアトリスの内面が掘り下げられていく。ヴィクターは、冷蔵庫の裏側にある隠し部屋に、復讐の計画と妻子の記憶をすべて詰め込んでいる。彼はそのなかでは復讐によって生かされているが、一歩外に出れば抜け殻に等しい。一方、外に出るたびに子供たちに怪物呼ばわりされるベアトリスもまた、未来を奪われた抜け殻であり、復讐を生き甲斐にするしかない。

 そんな過去に呪縛された抜け殻同士が出会い、それぞれに復讐と向き合い、お互いにせめて相手の運命だけでも変えようとすることが、最終的に自分も変えることになる。オプレヴ監督は、サスペンスやアクションだけではなく、その背後に潜む男女の微妙な感情の揺れを巧みに描き出している。


(upload:2013/11/01)
 
 
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