富豪のヴァンゲル一族が所有する孤島で、40年前に一族の娘ハリエットが忽然と姿を消した。彼女を実の娘のように可愛がり、忘れることができない伯父、ヴァンゲル・グループの前会長であるヘンリックは、名誉毀損で有罪判決を受けたジャーナリストのミカエルに、遠い過去の事件の捜査を依頼する。ミカエルは、警備会社の女性捜査員リスベットの協力を得て、事件の真相に迫っていく。
タイトルにある“ドラゴン・タトゥーの女”とは、その女性捜査員リスベットのことを指している。病的ともいえる痩身、鼻ピアスにドラゴンのタトゥーという風貌。優れた記憶能力を持つ天才的なハッカーで、男を憎む彼女が、女たちを欲望の捌け口として弄ぶセクシストに裁きを下す姿には、かなりインパクトがある。ハリエットが残した日記に書き込まれた暗号を解き、彼女が写っている写真を解析し、次第に事件の背景が明らかになっていく過程はスリリングといえる。
この物語で重要な要素になっているのは、性的虐待とナチスだ。リスベットは後見人から性的虐待を受ける。事件の捜査からも、虐待と殺人の連鎖が浮かび上がる。一方で、ヴァンゲル一族は過去にナチスと関わりを持っている。捜査を依頼したヘンリックの2人の兄と弟の3人は、ナチズムの信奉者だった。ミカエルとリスベットは、虐待と殺人の連鎖をたどることによって、ナチスの闇に分け入っていく。
性的虐待や残虐な殺人をナチスと結びつけることはたやすい。だが、安易に結び付けてしまえば、作品の世界が広がりや深みを欠くことになる。ミカエルとリスベットの捜査では、性的虐待や殺人がナチスの氷山の一角として現れるのではなく、ナチスが性的虐待や殺人に取り込まれていくように見える。
但し、作り手のヴィジョンがしっかりしていれば、それもある意味で正しいことになる。たとえば、オリバー・ヒルシュピーゲル監督のドイツ映画『ヒトラー最期の12日間』は、ヒトラーと側近の終焉を描いてはいるが、それがナチズムの終焉を意味するわけではない。彼らはナチズムを生み出したが、このドラマが始まる時点ではすでに彼らの方がナチズムから見離されている。そして彼らは滅びるが、新たな種はすでに蒔かれ、別のかたちで脱人間化が進行していくことが、暗黙のうちに物語られる。
この映画にも、そうした視点を適用できないこともない。性的虐待や殺人に回収されたナチスは滅びる。だが、そこにはまだもうひとつのドラマがある。この映画は、ミカエルが、大物実業家ヴェンネストレムの武器密売を批判する記事を発表し、名誉毀損で訴えられ、敗訴するところから始まる。そして最後に再び、ヴェンネストレムとの対決へと戻る。巨大な悪はこの大物実業家の背後に潜んでいる。スティーグ・ラーソンの原作ではどう描かれているのか、筆者は知らないし、確認するつもりもないが、本来ならその部分をもっと掘り下げるべきなのだろう。 |