スターリンの葬送狂騒曲
The Death of Stalin The Death of Stalin (2017) on IMDb


2017年/イギリス/カラー/107分/ヴィスタ/5.1chデジタル
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(初出:『スターリンの葬送狂騒曲』劇場用パンフレット)

 

 

支配の土台となるものとは

 

[ストーリー] “敵”の名簿を愉しげにチェックするスターリン。名前の載った者は、問答無用で“粛清”される恐怖のリストだ。時は1953年、モスクワ。スターリンと彼の秘密警察がこの国を20年にわたって支配していた。

 下品なジョークを飛ばし合いながら、スターリンは側近たちと夕食のテーブルを囲む。道化役の中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)の小話に大笑いする秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)。スターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)は空気が読めないタイプで、すぐに場をシラケさせてしまう。明け方近くまで続いた宴をお開きにし、自室でクラシックをかけるスターリン。無理を言って録音させたレコードに、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」と書かれた手紙が入っていた。それを読んでも余裕で笑っていたスターリンは次の瞬間、顔をゆがめて倒れ込む。

 お茶を運んできたメイドが、意識不明のスターリンを発見し、すぐに側近たちが呼ばれる。驚きながらも「代理は私が務める」と、すかさず宣言するマレンコフ。側近たちで医者を呼ぼうと協議するが、有能な者はすべてスターリンの毒殺を企てた罪で獄中か、死刑に処されていた。仕方なく集めたヤブ医者たちが、駆け付けたスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)に、スターリンは脳出血で回復は難しいと診断を下す。その後、スターリンはほんの数分間だけ意識を取り戻すが、後継者を指名することなく、間もなく息を引き取る。この混乱に乗じて、側近たちは最高権力の座を狙い、互いを出し抜く卑劣な駆け引きを始める。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、マレンコフ、フルシチョフ、ベリヤに加え、各大臣、ソビエト軍の最高司令官ジューコフまでもが参戦。進行する陰謀と罠――果たして、絶対権力のイスに座るのは誰?!。[プレスより]

[以下、本作のレビューです]

 独裁者スターリンの死とその後継者争いをブラック・コメディに仕立てあげた本作の冒頭には、「スターリンの秘密警察NKVDは20年にわたり恐怖で支配していた。“敵”としてリストに載った者は粛清される」という字幕が挿入される。

 本作では、スターリンの権力や支配をどうとらえるのかがポイントになる。スターリンの死後、側近たちは改革や自由化を口にするようになり、最初に実権を握ったマレンコフと彼を操るベリヤは、実際にスターリンの粛清リストを破棄し、囚人を釈放する。もしスターリンの権力を揺るぎないものにしていたのが、監視や粛清の恐怖だけだったら、いくら人気取りのためとはいえそんな方針転換はできないだろう。ということは、そこに恐怖による支配だけではない、しっかりとした土台があることになる。

 では、その土台とはなにか。それを理解するヒントを与えてくれるのが、社会学者マックス・ウェーバーが「支配」の本質に迫った『権力と支配』だ。本書では、鉄血宰相と呼ばれた19世紀の政治家ビスマルクと官僚制の関係が以下のように説明されている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   アーマンド・イアヌッチ
Armando Iannucci
脚本 デヴィッド・シュナイダー,イアン・マーチン
David Schneider, Ian Martin
撮影 ザック・ニコルソン
Zac Nicholson
編集 ピーター・ランバート
Peter Lambert
音楽 クリストファー・ウィリス
Christopher Willis
 
◆キャスト◆
 
フルシチョフ   スティーヴ・ブシェミ
Steve Buscemi
ベリヤ サイモン・ラッセル・ビール
Simon Russell Beale
アンドレーエフ パディ・コンシダイン
Paddy Considine
ワシーリー ルパート・フレンド
Rupert Friend
ジューコフ ジェイソン・アイザックス
Jason Isaacs
マリヤ オルガ・キュリレンコ
Olga Kurylenko
モロトフ マイケル・ペイリン
Michael Palin
スヴェトラーナ アンドレア・ライズブロー
Andrea Riseborough
-
(配給:ギャガGAGA)
 

「ビスマルクは、長年にわたる支配のあいだに、自主性のある一切の政治家をとりのぞくことによって、かれの閣僚を自分にたいする無条件の官僚制的従属にまでもたらしたのであったが、その後桂冠するにあたって、これらの閣僚たちが、あたかもこれらの手下たちの天才的な主人であり、作り主である人物がやめたのではなくて、官僚制機構のなかの任意の人物が他の人物とすげかえられてしまったかのように、いとも無頓着にまた倦むことなく、依然としてその職務をおこなっているのをみて、一驚を喫せざるをえなかったのであった」

 本作では、そんな官僚制の特徴が様々な局面で見え隠れし、悲劇と滑稽さを生み出していく。別荘に駆けつけたマレンコフは、倒れているスターリンを目の当たりにして、「唯一無二の方が」という言葉を口にする。スターリンでなければ土台は築けなかっただろう。だが、そのマレンコフが次の瞬間には、「書記長職は代理の私が務める」と宣言しているように、もはや作り主は不可欠の存在ではなくなっている。

 さらに、スターリンが倒れるという事態への対応も印象に残る。本来ならすぐにでも医者を呼ぶところだが、ベリヤは手順が決まっているといってすぐに行動しない。ベリヤと彼に引きずられる側近たちは、官僚的体質を丸出しにし、合議という形式的な手続きを踏むことで時間を費やし、スターリンを死に追いやろうとしている。

 スターリンの後継者争いはベリヤとフルシチョフを軸に展開していくが、彼らが卑小な存在のように感じられるのは決して偶然ではない。彼らにとって官僚制は、それを使いこなすことでなにか大きな目的を達成するためにあるのではなく、指導者としての地位を保証するためのものに過ぎない。指導者になれば、上意下達の命令系統によってなんでも思い通りにできる。ベリヤの命令ひとつで、モロトフがリストから外され、妻ポリーナの名誉が回復される。逆に、忠実に命令を守り続けたスターリンの警備兵たちが、悲惨な運命をたどる。

 だが、現実には官僚制はだれの地位も保証してはくれない。ウェーバーは前掲書で、官僚制機構が「それを支配する術をすでに心得ているひとなら、だれのためにもはたらく労をいとわない」と書いている。本作のラストには、そんな現実が巧みに表現されている。カメラは、後継者争いの勝者フルシチョフに寄っていくかに見えるが、実はその後列に座る人物、やがて最高指導者となるブレジネフを映し出そうとしていたことがわかる。

 官僚的体質が染みついた政治家たちが、国民を置き去りにして不毛な椅子取りゲームを繰り広げる。そんなドラマは、今の政治と結びつけてみることでさらに面白さが増すことだろう。

《参照/引用文献》
『権力と支配』マックス・ウェーバー●
『権力と支配』マックス・ウェーバー

(upload:2019/09/02)
 
 
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