以前、「London Evening Standard」のネット版で、こんな記事を目にした。ロンドンの映画産業が成長を遂げ、ハリウッドとニューヨークに次ぐ映画製作の拠点になっている。また、『ノッティングヒルの恋人』(99)、『ブリジット・ジョーンズの日記』(01)、『ダ・ヴィンチ・コード』(06)などの大作・話題作の舞台になることで、観光客も増加している、といった内容だった。
イギリスではサッチャー政権下の80年代に、ロンドンの大規模な再開発プロジェクトが始動し、さらに21世紀の到来を記念するミレニアム・プロジェクトも加わった。その結果、ロンドンが大きな変貌を遂げたことも、映画の舞台として注目される要因になっている。
たとえば、『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』(99)では、テムズ川を下るボートチェイスによって、ビッグ・ベンやタワー・ブリッジから高層ビル群のあるドックランズやミレニアム・ドーム(現The O2)まで、新旧のロンドンが見渡せる。『Jの悲劇』(04)や『マッチポイント』(05)には、ミレニアム・ブリッジや発電所を現代美術館に改造した人気のスポット、テート・モダンが登場する。
その一方、知られざるロンドンに目を向ける作品も目立つ。スティーヴ・ナイトの脚本を映画化した『堕天使のパスポート』(02)と『イースタン・プロミス』(07)では、不法滞在者やロシアン・マフィア、臓器売買や人身売買の世界が描き出される。さらに、『28日後…』(02)や『愛をつづる詩』(04)に、監視カメラの映像が盛り込まれていることにも注目すべきだろう。ロンドンには世界のどの都市よりも多くの監視カメラがあるからだ。
それでは『新しい人生のはじめかた』のロンドンはどうか。この映画では、ミレニアム・プロジェクトの産物のひとつであるロンドン・アイ(観覧車)も目に入るが、全体としては、トラファルガー広場、セント・ポール大聖堂、サマセット・ハウスなど、歴史を感じさせる場所が印象に残る。しかし、単に古都の雰囲気を醸し出そうとしているわけではない。舞台とドラマには、直接的ではないが、想像力をかきたてるような繋がりがある。
監督・脚本を手がけたジョエル・ホプキンスは、アメリカ人とイギリス人の関係にひねりを加え、独特のユーモアを生み出している。注目したいのは、空港のバーでハーヴェイとケイトが再び顔を合わせる場面だ。ハーヴェイは、イギリス人は閉鎖的だと思っている。ケイトはそんな彼にこのように語る。ダイアナが亡くなってからイギリス人はオープンになった。それはアメリカ人の影響であり、 “硬い上唇(a stiff upper lip)”は昔の話だと。そこには皮肉なユーモアがある。ケイトはわざわざ硬い上唇を実演してみせるが、実はハーヴェイも彼女も前の晩に辛い体験をして、感情を表に出さず平静を保つためにその状態になっていたからだ。
ケイトが語るようにイギリス人が変わったとするなら、それは先述したロンドンの変化と無縁ではないだろう。サッチャー政権はアメリカ型の市場主義を導入し、イギリス社会全体がアメリカ化した。それを踏まえるなら、アメリカ人の影響を受けて国民が変化することもあり得る。そして、もしこの映画の主人公がそうした変化を象徴するような人物だとしたら、背景には新しいロンドンが相応しい。但し、そうなるとイギリス人とアメリカ人が出会うことはそれほど意味を持たなくなるが…。 |